井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

「頑張ろうね」

 

頑張れが、苦手だった。

 

小さい頃は頑張れって魔法の言葉だったのに。

多分これってわりとあるあるだと思っているのだけれど、大きくになるにつれて「頑張れ」のたった四文字に複雑な感情を抱いてしまうようになったし、思春期を迎えるとただ無責任に「頑張れ」なんて言うこと自体ひどくナンセンスに感じるようにさえなってしまった。言われることも、言うことも。

だってもう頑張っている人に言う頑張れも、今頑張ることをしていない(っていう言い方さえ好きじゃないけれど)人に言う頑張れも、なんか重石になってしまうような気がした。頑張れって前向きな言葉のはずなのに、苦しめるばかりの響きしか私には生み出せない。それはきっと私が「頑張っていない」からで、頑張りが「足りない」からで、結果を出せていない「私なんか」が言って良いことじゃないような気がしていた。

流石にダサいとまでは思わなくても、大人になった私は、やっぱり未だに頑張れって言うのが苦手だ。

 

頑張ったって無理なことが増えてくる。本当は頑張っているつもりなのに、「もっと頑張ってる人」に埋もれて惨めになる。そもそも頑張るなんて精神論に過ぎなくて、頑張る頑張るって口にする度にそこに結果が伴っていない自分が恥ずかしくなる。そのくせ本当は頑張ってるかもしれない誰かに「もっと頑張れば良いのに」なんて一瞬思ってしまって、その後そんな自分が身勝手で苦しくなる。そう思うとますます人に頑張れなんて言えなくなる。生きるって難しい。そんな繰り返し。

それに比べて、アイドルを応援するのは気持ちが良かった。なんて無責任に頑張れを投げかけられるんだろう、なんて安易に気持ち良く、頑張れを託せるんだろう。まさにアイドルってそういう意味でも最高に娯楽だった。

 

ずっと、ずっとそう思っていたのに、なすくんを好きになった時、私は大切すぎて、愛おしすぎて、傷つくことを勝手に恐れて、心の端がいつも言っていた。もう頑張らなくても良いよ。頑張りすぎなくても良いよ。

いや私だって、何度も何度も話してしまうように初めてなすくんを好きになった時、その優秀な遺伝子だけで作られたような顔面が、経歴が、全てが眩しかった。もちろん、完璧なんかじゃなくて、そこが目が離せなくて、大好きになったんだけど。今も本当はちょっとだけ分かっている。なすくんの努力が報われるのはもちろんなすくんの力だけれど、それだけじゃなくて、持って生まれた才や運があるからだ。なすくんは選ばれている。

でも、だからこそ今以上に、好きになった時はなすくんが頑張る姿を見る度に眩しい前に心の隅が、ほんのちょこっとだけ隅がいつも痛んだ。勝手にハラハラしていた。華奢な身体に、まだ完璧とは言えない動きに、拙い喋り方に、怒涛の波のように押し寄せる期待の渦。努力だけじゃ足りない世界を生きるなすくんが、いつか飲まれてしまいそうで勝手に、ほんっっとに勝手に心配していた。乗れる大波がやってくるだけ有難いことも、余計な心配なことも、贅沢で無力な願いなことも、全部分かっていたのに。その頃のなすくんの口癖が「頑張らなくちゃ」だったなんて聞いた日には胸が痛くて泣きそうだった。

この話前もブログでしたね、すぐ同じ話しちゃうね。

同じ話をするけれど今はなすくんのその言葉が決して追い詰める、マイナスな言葉じゃないと思っているし(きっと本当に悩んだり、重く感じたり、苦しんだりした意味が少しは含まれていたのも確かだろうし、それは今だってそうなのかもしれないけれど)、なすくんは努力を本当に力に変えていける人なのだと心の底から信じている。

 

なすくんは、かっこいい。まず顔だけで億の価値があるくらいかっこいいし、思考から何から全てがかっこいい。何よりやっぱりなすくんがかっこいいのは、なすくんが頑張っているからなのだと思う。頑張ってるなすくんは、世界で一番かっこいい人だ。

 

頑張れが、苦手になって。

大人になってからはなおさら、頑張る機会が減った。いや仕事めっちゃ大変だけど。一人の人間としての色んな重責はかかってくるけど。でもなんだろう、それこそ思春期の私が抱いていたような頑張りとは別というか、頑張りたくなければ頑張らなくて良い、そんな抜け道のようなものを作れるようになった。頑張ることが全てじゃない。それは悪いことでもずるいことでもなくて、大人になることで得たとても良いことだとも思っている。

 

それでも、そうして大人になって、なすくんを好きになってから出会った、「仕事を頑張ってる人は、かっこいい」の言葉。

なすくんの言葉や考えに救われたことがたくさんあるし大好きな大好きなものがたくさんあるのに、これが何故かずっとずっと残っている私にとっての星の言葉。あっそうか頑張るって格好良いのかって今更ながら気付いた言葉。当たり前だけど、単純だけど、見えなかったこと。

頑張るってことに苦手意識があったけれど、頑張りたい!って思うようになった。大人になるにつれて遠ざけた「頑張る」って意識が、宿った気がした。

 

私なりに、頑張った今日の私、かっこいいかな?って考えるようになった。些細なミスが情けなくて湯船でほろほろ泣きながら、でも、頑張ったからちょっとはかっこいいと良いな、なんて思った。それはなんかむしろもう祈りに似ていて、でもそう思うことでどんなにぐずぐずでも心にすっと芯が通った。

ただただ暗示みたいに、呪文みたいに、「頑張る、頑張る」と自分の中で唱え続けた。

 

でも、だからこそ、なすくんの頑張りを見る度にふと思うことが増えた。頑張るって、なんだろう?

なすくんを見る度に、私も頑張りたいなあと思う。そういう力を沸かせてくれる、なすくんは最高の男の子だ。嫌なことを忘れさせてくれるだけじゃない、全部受け止めてくれるだけじゃない、背中を押して生きる力をくれる、とびっきりのスーパーキラキラアイドル。

でも、頑張りたいなあって思う度に、何を頑張れば良いんだろうってぼんやりと考えるのだ。美容を頑張る?人付き合いを、仕事を頑張る?そう思う度に、やっぱり私の技術では、容姿や才能では、そして気力では限界があって、頑張りが「足りない」なあって思う。

全然バリキャリでもなんでもないので仕事をめちゃくちゃ頑張って世の中的に凄い人になれるわけでもなく、私の仕事頑張るなんて今日も上司の小言をやり過ごして何事もなく1日を終えるくらいだ。美容の頑張りだって目標体重に行くとか、おやつを今日は我慢する!とかで、その結果が行き着く先だってスーパーモデルになれるとかいうはずももちろんなく、周りに「めっちゃ可愛くなったよね!」って言われるみたいなことさえ微妙なくらいで、まあデートに役立つとか褒められる回数がちょっとは増えるかもしれないくらいで。人付き合いなんてものにしたらますます、頑張るってなんだ?頑張らなくちゃいけない人付き合いとは?って感じだし。

それって頑張ってるのか?世の中にはもっと頑張っている人がいるのに?目標なんてない。これで良いのかな?がぐるぐると回る。いつまでも、今だって分からない。

 

そうしてこの数年間生きてきた。私なりに頑張って、でも頑張ることの行く先が分からなくなって、私何のために頑張ってんだろうなあ、なすくんはこんなに頑張ってるのにって何度も思いながら。

そしてこの夏、雑誌を広げたら、今のなすくんが、高校3年間本当に頑張りきって、大学生になって、課題に追われながらも仕事も頑張っているなすくんが、言っていたのだ。努力する理由について。

「ただ、頑張っていたいんです。頑張っている人はかっこいいから、自分もそうでありたい」

あの時、仕事を頑張る女性はかっこいい!って言ってくれたなすくんと同じ星だった。変わらない星だった。私が信じたあの時のまま、きちんと変わらない好きがそこにあった。いいや、あの頃よりももっと眩しい。

胸のつかえがすとんと降りた。情けないけれどまた泣きそうになった。

 

ああ、そっか、それで良いのか。

私の頑張るはいつも外に向いていて、結果や欲しいものやなりたい姿のため、ただ前に前にがむしゃらに走るイメージだった。だから、それがない、結果がついていかない私の頑張るは足りなくて、少し恥ずかしくて、でもそれを凌駕するほど頑張りを増やす気力も沸かなくて、情けなく感じていた。

頑張れを伝えることが、頑張ってます!と大声で宣言することが、苦手だった。けれど、なすくんの言葉で、自分に矢印がやっと向いた。いいや前からなすくんのおかげで向き始めていたのに、気付いてなかっただけかもしれない。

すとりと落ちた。答えをもらった気持ちだった。

 

頑張りたいから、頑張る。それで良かったんだ。頑張らないより、頑張りたい。それが華々しい結果へ続く苦難の道じゃなくても、人に比べたらちっぽけでも、ただ、頑張っていたい。頑張っている人はかっこいい。なすくんは、世界で一番かっこいい。私もそんな人でありたい。かっこいい人になりたい。そうありたいから、頑張りたい。

 

(めっちゃ細かいけれど「努力し続ける理由…?」の「?」が超良かった。自分から語るんじゃなくて、聞かれて初めて答えるみたいな、でもそこにきちんと芯が通っているのが、なすくんにとって当たり前のように存在しているその考えが、強さが、私が大好きな大好きななすくんの何よりも素敵なところだった。)

 

私、よく失敗のイメトレをする。

これは学生の時に先生から教わったことで、起こりうるあらゆる失敗とその対処法を予め書き出して、考えて頭に入れておくことで、逆に自信を持って望めるのだ。大事な場面でこそ、色んなパターンの失敗の想像を、うっかりするかもしれない抜け道を何度も考えておく。これはもちろん大切なことで、必要なことだと今も思う。

でもなすくんは部活をしていた時から、成功する、上手くいく自分をイメージトレーニングしていた、今もそれをしているって聞いて、そういえば私って上手くいく想像はしていなかったことに気付いた。過信してしまいそうだし、期待外れになったら勝手に悲しいし。でも、そっかなすくんみたいな考えもあるんだなあって思って、最近は失敗だけじゃなくて、上手くいく自分も考えてみるようになった。それは心がそっと持ち上げられるような行為で、小さな小さな、でも私にとっては革命的な新しいことだった。こうだったら良いなって、思うようになった。

なんだろう。成功を考える行為そのものより、「そっか、そう考えても良いんだ」って思った気付きが私にとっては大きかった。心が軽くなった。目から鱗みたいな。

 

そうやってなすくんは、いつも新しい視点をくれる、そっと支えてくれる。世界を広げて、呼吸を少しだけ楽にしてくれる。たまに過去の自分までそっと肯定してもらえるような気分にもなるし、未来の自分まで守ってもらっているような気にもなる。

 

頑張れって言うのは、今でもちょっと苦手だ。けれど、なすくんがくれる頑張れが大好き。ずっと、ずっと、今も。

それはなすくんが頑張る、素敵な人だからで、目標に向かって走る強さを持っているだけじゃなくて、「頑張りたいから頑張る」って根本をきちんと持てている人だからで、そんななすくんが大好きで、そんななすくんを大好きになれた今の自分が、この好きが大切で、大好きで。

だから、思う。アイドルに、無責任な娯楽として投げつけるのとは(本当は変わらないんだけれどね)違う、大きな大きな大切な感情で、大声で。

 

頑張れ、頑張れ、頑張れ。頑張れなすくん。

意味のない応援でも、もう十分頑張ってるなんてこと知ってても、結局届かなくても、でも、そんなもの全部全部どうでも良くて、ただ心の底から湧き上がるように思う。この気持ちは無理矢理じゃなくて、悩んで伝えるものでもなくて、自然に湧き出るものなんだって、やっと知った。

頑張れ、頑張れ。

私も頑張るから。なすくんが頑張るから頑張るなんて、本当はこれも一種の転嫁なんだってこと分かっている。それでも、そうじゃなくて、似てるようで違くて、私は私で、ちゃんと頑張りたい。頑張ろうねって言い合いたい。かっこいい人間になりたい。結局ただそれだけだ。そういう人間になりたいんだ!ずっと。

へこたれて、ずるをして、怠けて盗んで罵倒して、それでも、そんな身体を引きずりながら

頑張ることをやめたくない。何度でも何度でも頑張りたい。頑張ったなあって何度でも思いたい。

まあ、ずっとずっと100%の力でガムシャラに頑張りたいわけじゃないしそんなのは無理だ。それでも、やっぱり、頑張ることからは逃げたくない。諦めたり、理由をつけて遠ざけたり、ダサく恥ずかしく思って笑い飛ばしたりしたくない。別に大きな夢なんてないし、頑張らなきゃいけない目標なんて今の私には何もない。大人になった今や試験さえない。それでも、そうじゃなくて、ただ生きるだけで良い、席を譲るだとか姿勢を正すだとかそんな小さなくだらないことで良い。頑張っていたい。頑張っている私のまま、胸を張ってなすくんに頑張れって言いたい。そしていつか誰かにもちゃんと、頑張れって心から伝えられる人になりたい。わたし頑張ったんだって笑える人になりたい。だってそれってかっこいい。結果とか得たものとか職業とか技術とか関係なく、かっこいいじゃん。

 

まだたった数週間だけれど、頑張るって言葉が、最近は少し好きになった。

「今日も頑張ろう」って思うこと、「頑張らなきゃ…」って重い言葉じゃなくて、言い聞かせる暗示じゃなくて、よし!って心に灯りがともるような感覚になった。切り替えスイッチみたいな。

何を頑張るんだよとか本当に頑張れるの?みたいなモヤモヤとした疑問じゃなくて、とにかく今日も頑張ろ〜って軽い気持ちで思えるようになったし、不思議なことにそう思うことで逆に道の先が、頑張りたいことが少しずつ見えてくるようになった。

家族や友達、周りの人に「今こんなことを頑張りたいんだ」を伝えてみたら、まあお世辞かもしれないしテンプレートかもしれないけれど笑顔で「頑張れ!」って返してくれることに気付いた。頑張れ。面と向かって久しぶりに言われた気がする。それは重くもなくて、邪推もなくて、案外ほんとに嬉しくなる、魔法みたいな言葉だった。魔法にしてなかったのは世間じゃなくて自分だったのかもしれなかった。

 

なすくんがまた過去の自分に手紙を書くとしたら、きっと頑張れって真っ直ぐに言うんじゃないかって、前も言ったようにずっと思っている。そして今のわたしも、もしもあの頃のなすくんに、そして未来のなすくんに何かを言えるなら、無理しないでねでも休んでねでも頑張ってるのは分かってるから頑張りすぎなくて良いんだよでもなくて(それももちろん今もすごく、すごく思っている)、大きな声で頑張れ!って言いたい。頑張れ、頑張れ。そう言える自分が好きだし、そう言える人に出会えたことがとてつもなく嬉しいし、こうして私の世界はどんどん強くなっていくような気がする。

ずっと、好きだけが強さみたいな人生だ。弱い私はずっとそうやって生きてきた。でも、この好きがあるから、私はこんなにあたたかく、私なりに優しく、格好良く生きていける。

それって最高、ほんっとに最高だ。

 

 

余談だけれどなすくんがハグって言うの、凄く似合うと思いませんか?

抱きしめるじゃなくて、ハグ。

なすくんのことを思うと、私はいつでも抱きしめたくなる。なすくんっていうか、なすくんって存在そのものを、ぎゅうって抱きとめたくなる(?) 愛おしいなあと、思う。

きっとそれは私にとっては恋愛のこもった王子さまへのものではなくて、どちらかと言えば人の寝顔を見て祈る時のような、母親じみた勝手な慈しみに近いものだと思っていたのだけれど、でも、今は人生でなすくんって存在としていたいのは、選手が最後に称え合うような、友愛みたいな、軽くて優しくてでも眩しい、二人で溶け合うんじゃなくて一人と一人の人間として向かい合ってするような、まさにハグなんだと思う。そんな関係でいたいんだと思う。

 

そう思うとまたすとんと心が楽になって、あんなに一生なんて簡単に言わない!好きはいつか変わる!どんなに好きでも同じ熱量で愛し続けることはできない!好きがなくなるのが怖い!今こんなに好きなのに!って言っていた私が、盲目でも(いや盲目なのだろうけれど)盲信でもなく、爽やかな気持ちでぼんやり思っちゃったりするのだ。なすくんのことずっと好きだなあ。

ずっと一番なんて難しい、人生が交わることなんてない、一つにはなれない、でも一人と一人として、いろんな距離をとりながらも、ずっと並んで生きていきたい。一緒に歩んでいるような気待ちにさせてくれるなすくん。世界を広げてくれるなすくん。

キラキラとした遠い世界で光るなすくんが、現実を淡々と生きる私に、現実世界への逃避でもなくて、未成年アイドルへのやばい没頭でもなくて、20代の貴重な時間を捨てる行為でもなくて、私の世界を私の足で歩くための力を確かにくれた。凄いことだ、凄いことなんだよ。

 

私きっとなすくんのことずっと好きだなあ。なすくんがどういう大人になって、私がどういう人生になっても、なすくんが頑張っているところを見ていたいし、ずっと一緒に、頑張っていたいんだなあ。もしもなすくんがたとえこの先何か大事件や大変化を起こして「こんな人だったの!?」って勝手に(本当に勝手にね)なる日がきたとしても、頑張れをくれたこの毎日は消えないし、嘘なんて一つもない。

心の芯になすくんがくれたものたちを抱えて、私はずっとなすくんと一緒に生きていくんだなあ。だから、きっとこの先もずっとなすくんのことが好きだ。

だからずっと、どうか見えるところで笑っててほしい。この世界で幸せでいてほしい。そう思うことはやっぱり少し祈りに似ている。

 

 

いやーーーそれにしてもなすくんの困り顔めっちゃ好きだなあって日々じわじわと実感していたので道史くんの困り顔、まじで性癖に刺さるー!!!なすくんの表情の演技さいこー!!!ほんと何故その扱いなんだと思いつつなすくんにドッキリしたくなったりなすくんにだけなんか露出が凄い謎のニット着せたくなったりカラシ口に放り込んで逃したくなくなったり目の前であーんした小骨食べてみせたくなる気持ちも分かる〜〜!!!!

なすくんさいこ〜〜!!!!ヤッ!!!!

今年の夏も最高!会える時も会えない時も色んな世界に連れ出してくれてありがとう、いつもいつも最高に楽しくてしあわせだよ!

またね!