井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

こんなところにいたの

 

優しい音楽が鳴って、上手の袖からなすくんが出てくる。柔らかな顔で手を振って、呼吸がしやすそうにうーんと伸びをして、ゆったり歩いてくる。生真面目に手足を伸ばしていた舞台の上を心地好さそうに泳いで、後輩と手を繋いで、昔自分がやっていたみたいに、たくさんの小さな手のひらにキラキラと囲われながら真ん中で笑う。

歌声も、表情も、柔らかな光みたいな演出の空気も全部、全部が優しくて、ああこの中にわたしの好きななすくんが全部詰まってる、なんて心の底から滲み出るように思う。スクリーンいっぱいに映る笑顔に、「固くて怖そう」なんて影は微塵もない。優しくて、優しくてたまらなくて、そうだよあのねなすくんって物凄くやさしいんだよ!なんて思いながら、祈るように一緒に笑みが零れる。ずっと笑っていてほしい。この優しい世界で息をしてほしい。雨の日だって風の日だってずっとずっと、このまま笑って、もっと笑ってほしい。この子が笑ってればきっと何もかも大丈夫、わたしの世界は大丈夫。切なくなるくらいの多幸感。星を見上げる首の角度はやっぱり好きな人を見つめる時に似ている。

 

あ、このままもっとの話です(亡霊)

 

なすくんを好きになって良かった!ってまた湧き出るように愛おしく実感したし、私のなすくんへの気持ちを具現化したらやっぱり「このままもっと」のなすくんになるんだと思う。

 

ドームにアメリカ、染色に初個人仕事、お察しの通り夏のブログを完全に書き逃して気が付けばまた大好きな冬がやってきたわけなんですけど、今年一年もとってもめまぐるしくて、去年だって一昨年だってそう思った気がするのに、驚くくらい色んな初めてがつまった一年だった。なすくんは本当に、どんどん前に進んでいく。どんどんその足に力をつけて、強い瞳を見せてくれる。会う度に輝きが、強さが増している。これって本当に凄いことだと思う。

好きになった時、なすくんは高校生になって、新しい生活を精一杯頑張っていたところだった。そんななすくんももう大学生になるわけで。なんか凄い、ほんっと凄い。なんてあっという間で、でも大きな三年だったんだろう。それに比べ私の三年よ。と比べても何にもならないけどたまに思わなくもない。

 

でも、私だってこの三年、やっぱり思い返せばなすくんに支えられて、たくさんなすくんのおかげで頑張れてきた思い出がたくさんある。公演前後のあの胸の高まりや、涙を抑えて帰った道だけじゃない。厄年だったのか単に歳が重なって任されることが増えたのかその割に仕事が出来なすぎるからか分からないけれど、今年は特に、仕事をしながらなすくんを思った。給湯室で思わず涙をこぼしながら「なすくんみたいになりたい」と思った。湯船でぼんやり明日のことを思うとぐるぐるお腹の底の方が痛くて、でも、仕事を頑張る私はかっこいいって言い聞かせた。辛いタイミングで(お気付きの通りタイミングというか年がら年中勝手に辛がってる)なすくんがブログでくれる言葉に、何度も支えられた。そ〜うブログ!ブログができてくれたのが本当に大きくて、8/8の心をまだうまく形にできないけれど、それでも6人がそれぞれの愛おしさを放つ文章が大好きで、月曜と金曜、私の日常にまたキラキラの星マークがぺたりと貼られたような、そんな気持ちになった。ご褒美シール。

 

私の中にずっとなすくんの言葉があって、かっこいい私でいたいなって、いつもそう思う。私にとって「好き」っていうのは逃避になることが多くて、いや今も全然結局逃避なんだろうけど、でも思い返せばなすくんを支えに頑張ることで、私はいつも前を向いていた。次の日顔を上げて、反省して、仕事に向かっていた。なすくんに逃げて放り出したりしなかった。まさになすくんの「おかげ」が溢れている日々で、それは私がなすくんを好きになる時に「なすくんのためって思わない、なすくんのおかげって思ってオタクをしよう…」って自戒として唱えたことで、でもそんな意識をしなくても(まあ揺れる時もそう思っちゃう時も普通にあったけど!)自然に「なすくんのおかげ」で前が向けたことがたくさんあるの、ほんとに、ほんっとうに、なすくんって凄い。なすくんが凄すぎる。

私は今もやっぱり、一生懸命やればきっと報われるし、全力で努力したことはどんな形でも自分の実を結んでくれると信じている。信じられている。

 

やっぱり大好きだから、ずっと好きでいたいな、と思う。こんな日々が続けばいいな。

でもやっぱり大人になればなるほど、このままでいいのかなとも思う。自分の生活をもっと生きなきゃなって。自分の生活って何だよって感じだけど。別に結婚して子どもを産むことが、仕事を続けて自立して生きることが全てだとは思わないけれど、それでももっと私は「きちんと」生きた方が良いんじゃないかなんて、そんな答えのないぼんやりとした不安が巣食うことがある。20代半ばになった今年、もう、物凄く、あ〜なるほどこういうことか、と実感した。周りが目まぐるしく変わっていく。予想はしてたけど実際にくると違った。私も変わるべきだなんて、そんなことを思わずにはいられないくらい。別にこのままでいること、何も悪いことではないんだけどね。多分数年後には「折角の自由な華の20代のこんな悩み可愛いもんだったわ!」とか言ってそうだしね。

 

いつまで好きでいられるんだろう、そんなまた考えてもしょうがないことを何度も思っては結局心が何度もこの子の元に向かう。その繰り返し。わたしは今日も結局キラキラのなすくんを見つめるためにフカフカの赤い椅子に腰掛けている。こんなにもこんなにも愛しくて泣けること、恋ではない涙を他人に流せること、知らなかった。それもいつまで向かうんだろうなんて、思ったりする。

 

私の好きはたしかに前向きで、多分なすくんがいなかったら別に破滅も自殺も何もしてないもののなすくんのおかげで彩られた幸せがたくさんあるけれど、それでもいつかすとんと終わりはくる。それを悲しいことに私は知ってるし、お金をかけて、時間を費やして、特大の「好き」だけを抱えて生きて、でもそれも溶けてなくなったその時、わたしに何が残るのかなあ、なんてナンセンスすぎることも考える。いやーほんっと、何の生産性もない悩み。

 

でも、今年読んだ本の中で、死別した友人を思う女の子の話があった。痛くて苦しくて、でも時間とともに忘れていくことも怖くて嫌で、変わりたくなくて、でもふと当たり前だと思っていた自分の考え方の癖が、始まりはその子がくれた言葉だったことを思い出して、思わず言うのだ。自分の胸を抑えて「こんなところにいたの」って。その瞬間、その言葉がすごくすごく胸を貫いて、それ以来何度か唱えたくなってしまう。

こんなところにいたの。こんなところにいたの。

 

なすくんを好きでいた時間。まだたったもうすぐ3年のこの時間だけれど、気が付けば3年とも言えて。気が付いたらなすくんは大学生になる。当たり前のようにそばにいるこの「好き」がない生活を私はもう想像することができないし、「好き」がなくなったその時わたしは何を支えに仕事ができるんだろうなんて弱いことも考える。でも、もし。いつかもし、全く違う好きを抱えて、なすくんのことを好きだった毎日なんて思い出せないくらい、好きじゃないことが「当たり前」になった日が来ても。

ふとした時に、思い出してみたい。

 

気付けば当たり前になった、財布の中を綺麗にする癖。真似していたらいつの間にか意識しなくても「姿勢綺麗だよね」って言われることが増えた背筋。(毎日とはいかなくても)気分転換にするようになったパック。レパートリーがやけに増えた茄子料理。泣きそうになっても悔しいなら前に進みたいと思うようになった闘争心じみたもの。頑張りたい時に心の中で「よいしょー!」って唱えて立ち上がった思い出。何かやらなくちゃいけないことができた時に、夜型だったのに気が付けば「朝早く起きてみよう」って思うようになった気持ち。早起きが好きになったこと。今まで感じたこともなかった季節の空気。周りを見ると確かに気温が、景色が、匂いが違うことに二十数年生きてやっと気付いて、世界が広がったような気がしたこと。心が詰まった時ほどそうして周りを見ると、心もなんだか少し落ち着いて、また頑張ろうと思えるって知ったこと。

きっかけは浅ましいくらいに「なすくんもやってるなら!担タレになりたい(ハートマーク)」な真似だったものたちが、なすくんのおかげだって忘れるくらい、気が付けば自分の癖になった。多分、書いてないだけでもっとたくさんあるだろう、そんなものたち。

今よりもっと大人になって、結婚するかもしれないし子どもがこの世でいちばんの宝物になるかもしれないしもっと推せるものを見つけるかもしれないし一人で歩けるようになってるかもしれない、そんな未来で、ふと思い出したい。あ、そうか、これなすくんがくれた癖だったって思いたい。懐かしく思い出して、なすくんを好きで好きでたまらない今の私に再会したい。

いつかなすくんのことをこんなに精神注いで追わなくても、本屋を歩けばテレビ誌の表紙になすくんがいて、渋谷を歩いてふと見上げた大画面になすくんがいて、ああ大きくなったなあなんて思いながら、ふいに救われたい。離れたって見えずにはいられないくらい、大きく大きくなって欲しい。

そして、あー私そうだめちゃくちゃになすくんのこと好きだったな、って思いたい。

懐かしさと愛おしさに思わずくすくす笑っちゃったりなんかしながら、「こんなところにいたの」って言いたい。何度でも何度でもそうやって私の中で出会いたい。

好きを少しでも多く、そうして私の中に溶かしていきたい。それが今の私の夢だ。

そう思うと、変わっていく環境の中、変わらずに好きでいることも、気持ちが揺らいで変わっていくことも、怖くなくなるような気がする。

無駄なものなんて一つもないって、なすくんが教えてくれたから、私は今日も私なりに自信を持って生きていける。世界を信じていられる。だってなすくんが楽しいって笑ってくれるから!

 

今年も楽しかったなあ。こんなよくわからない長い長いことを書きながら、とにかくやっぱり今年もなすくんのことが大好きで、何度も何度も「わたしの本物だ」と見惚れるように思った。

かっこよくて、強くて、優しくて、かわいくてかわいくて愛おしくて仕方がない子。

先のことはわからなくても、明日もなすくんのことがきっと好きで、来年のなすくんにまた私はたくさん力を貰うんだろう。

 

あーーーー令和を羽ばたけ美 少年!

たくさん考えて、思いをきちんと背負おうとする彼らの歩む道に、私も勝手に一緒に夢を見て、これからも希望を貰うんだろう。

それってとってもアイドルだ。スーパーキラキラアイドルだね。愛おしいね。