井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

光のとこはぜんぶきみのとこ

 

大切な大切な、いっとう大事な星のひと!お誕生日おめでとうございます。

なすくんがこの世に生まれて(0歳もいれたら)23回目のお祝いの日になるし、アイドルなすゆうとくん8回目のお誕生日で、私はこうしてブログを書くのがもう7回目になる。すごい、すごいねえ。20歳になるなんて!と震えていた時から、もう2年経つんだね。時の流れってすごい。その間になすくんは雑誌やテレビはもちろん、グループでの単独コンサートも単独舞台も、たくさんの思い出をくれた。

 

この1年間をまとめると、「光のとこにいてね」に尽きる。それは私が読んだ同名の本のタイトルが大好きでそれの影響が大きいのだけれど、とにかくその言葉の響きを聞いた時にああ私の好きは全部これだ!とすとんときたのだ。ただただ光のところにいてほしい。この7年間、私は突然その光が分散したり見えなくなったりする日を恐れたり、光の一部でいたくて懸命にライトを降ったり、かと思えばあまりに眩しくてやさしい光を浴びすぎてくらくらしたり、その光のようになりたくてなれなくて勝手に胸を焦がしたり、でもやっぱりお守りにして抱いて生活を生き続けたりしてきた。

そして、今はただ、光のところにいてねと思い続けている。

 

冬に、大事な友だちが小さな頃から大切に大切にしている映画のジオラマが展示されていて、それを一緒に見に行った時。大きな大きなそのジオラマから溢れる柔らかな灯りを見て、その子が「だって、この光、全部味方なんだよ」と呟いた。その言葉が忘れられなくて、胸の中にしまわれたまま、たまにふと心から顔を出す。

「だって、この光、全部味方なんだよ」

 

それを私はよく知っていた。世界というのは自由で千差万別なものだから、少し顔を上げると色んな声が聞こえてくる。何か知ってるからこそ高く声を上げる人、何も知らないのに面白そうにいじくり回す人、よくわからないままイメージを語る人。多分、今年はね、おんなじ事務所に大切な人がいる人たちはみんなそうだったでしょう。ネットの海はもちろん、普通の人からもふいに無意識のナイフが飛んでくる。心に盾を張っても張っても足りなくなる。でも、コンサートに足を運べば、「好き」だけでできたその場所で色とりどりの光が、白いペンライトが、青い灯りがともる。会場が大きければ大きいほど星の海のようになるその光を見渡しながら、確かに私は思う。この光は全部味方。大丈夫、全部味方だ。そしてそれを綺麗だと見惚れる私は、それが本物だってちゃんとわかる。

 

もちろんね、前にブログで少し書いた通り、本当はそのペンライト一本一本に、本当にいろんな思いが埋まっているのを私は知ってるんです。その中には嫌悪や嫉妬だってあれば、寂しさや呆れだってあるんだろう。でも、光れば全部星になる。

自分でこの場所に来ることを選んで、労力をかけてチケットを取って、会いに行こうと足を動かして、自分の手でペンライトを持つこの場所は、ネットや世間の『外』とは明らかに違うのだ。ここはそういう場所。たくさん頑張ってきてくれたアイドルと、たくさん頑張ってきた私たちが、囲まれた『中』で出会う場所。祝祭のような、守られたお城のような、特別な場所。お互いの背中にきっと受けてきた矢が刺さっている、擦り傷もついている、明日への不安が心の奥底で息を潜めて噛み付く時を待っている、それでも、今ここには味方しかいないのだ。大好きなアイドルが光を振り撒くのを見て、私はああ、私の味方だと思う。私の周りにいる知らない人たちがあげる歓声を見て、私は勝手に、それも私の味方だと思う(もちろん、好きな人が同じだったら、ファンサや恋愛感情から見たら敵同士なことだってある。好きな人やグループが違っても、対立のために敵にもなる。でも、もっと大きな大きな目で見ればやっぱり私たちはここにいる時点でひとしく味方なのだと今年は特に深く思った一年だった)。

 

なすくんを好きになってから、勝手に周りの声や空気によって不安になった時、それでも結局現場でこの目で見た光やそれを見て抱いた自分の感覚だけが本物だと何度も改めて確信して救われてきた。だから私はいつも、回数が正義とか行けない人はファンじゃないとかそういう意味ではまったくなく違う意味で「現場だけが答え」とよく思う。「ぜんぶ味方だ」って思った今年も、結局同じことなのかも。光があるって、味方がいるって、私にとってはこれが本当だって、その場所に行けばちゃんとわかる。答えはそこにある。

 

だから、だからね、アイドルの方にも、なすくんにも、そう思ってもらえたら嬉しいなと思う。この光ぜんぶ、ぜんぶ君の味方なんだよ。すごい、すごいよね。こんなにすごいのはなすくんがすごいからなんだよ。ペンライトだけじゃない、ステージからきみを照らす照明の光、きみは照らすに値すると理解してそれを動かす人、キラキラ輝くきみの衣装を作った人、きらめく小さなボタンのひとつひとつ、きみが立つ頑丈なセットを組んだ人、スケジュールを組んだ人、それらを反射させる太陽からできた空気の光、もっともっと広く言えばそれを作った宇宙まで、全部きみの味方。そして何より、きみの心の奥から湧き上がる、きみ自身が努力で作り上げた光。ペンライトはそれの反射のようなもの。それが全部きみの味方。偶然や奇跡にも思える、でもちゃんと意思によって選ばれている光。

 

大事なフォロワーと行ったカフェで、蓄光の石を「星のかけら」として貰った時に、光らせれば光らせるほどそのあと暗闇でもほわりと光るその石を見て、「なすくんみたいだね」という話をした。なすくんは蓄光の人。努力で光を蓄えて、なすくんは光っている。私たちはなすくんの光を浴びてたくさん生活を頑張る力をもらえるし、会場を出た後も胸にまだ光が蓄えられてちゃんと残っているのがわかる。そして、私たちの振るペンライトの、ステージの光を浴びれば浴びるほど、なすくんはそれを吸い込んでますます一番光っていく。暗闇になっても、その光は消えない。もしも頑張れない時があっても、真っ暗に思える日があっても、ちゃんと蓄えていた光がいつだって光ってる、過去に積み重ねた光が、いつまでもいつまでも今と未来のなすくんを守る。それを分かっていてくれたら嬉しいななんて、勝手なことを考えるのだ。

 

だから、光は全部味方だし、なすくんはいつも光のところにいる。それってね、なすくんを好きでいる私も、いつも光のところにいられてるのと同じなんです。すごいね、すごいねえ。何回苦しくなったり、勝手に焦ったり虚しくなったりしても、やっぱり私は思います。アイドルを好きになるって、素敵なことだねえ。アイドルってすごいね。好きになれて嬉しいね。アイドルを好きになるって、なんて、なんて、幸せなことなんでしょう!

この光に出会えたこと、この光を抱いてこれからもずっと歩いていくこと、それがもう出会えた意味なんだって思えるんです。いつか終わることは、この時間を「何もなかった」ことにはしない。光がずっと続いてくれたらそりゃあもうそんなに嬉しいことはないし一番の願いだけれど、でも、光が終わることは、私の中にある貰った光が消えることとはイコールじゃないのだ。

ひとときを駆け抜けて、抱いた眩しさを希望にしたこと、それが出会った意味になる。

 

光のところにいてほしい。そしてそれは暗闇からじっと願うことじゃない。私も光のところにいるのだ。私にもいつも、柔らかな光が差してる。それをこの7年、いつもなすくんが教えてくれた。私も光のところにいたいから、自分の足で歩くのだ。それが今はちゃんとわかる。たとえばそうして生活が忙しくなる度、なすくんのいる場所と私の光のところは、段々ずれていって遠くなっていくのかもしれない(最初から近くないよ同じ世界じゃないよなんてことはわかってますが)、でも光のところは全部なすくんのところだから、結局二つは柔らかく繋がる。それもちゃんと今はわかる。だから、ただ、願うだけ。

お誕生日おめでとう。いっぱいいっぱいおめでとう、たくさんたくさんありがとう。光のところにいてね。ずっといてね。

 

生きていく内にいろんな綺麗な光を見てきたけれど、どんな自然の光や技術の眩さに見惚れても、世界中の全部の光をかき集めても敵わないくらい、なすくんが一番キラキラして見える。私の世界で一番綺麗な光をちゃんと見つけられたから、今日も明日も私は大丈夫。なすくんも大丈夫。大丈夫、大丈夫。この光全部きみの味方、光のとこは全部きみのとこ。

だからあの輝く場所で、ステージの上と下でまた会おうね。またね。光のところにいてね。