井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

光のとこはぜんぶきみのとこ

 

大切な大切な、いっとう大事な星のひと!お誕生日おめでとうございます。

なすくんがこの世に生まれて(0歳もいれたら)23回目のお祝いの日になるし、アイドルなすゆうとくん8回目のお誕生日で、私はこうしてブログを書くのがもう7回目になる。すごい、すごいねえ。20歳になるなんて!と震えていた時から、もう2年経つんだね。時の流れってすごい。その間になすくんは雑誌やテレビはもちろん、グループでの単独コンサートも単独舞台も、たくさんの思い出をくれた。

 

この1年間をまとめると、「光のとこにいてね」に尽きる。それは私が読んだ同名の本のタイトルが大好きでそれの影響が大きいのだけれど、とにかくその言葉の響きを聞いた時にああ私の好きは全部これだ!とすとんときたのだ。ただただ光のところにいてほしい。この7年間、私は突然その光が分散したり見えなくなったりする日を恐れたり、光の一部でいたくて懸命にライトを降ったり、かと思えばあまりに眩しくてやさしい光を浴びすぎてくらくらしたり、その光のようになりたくてなれなくて勝手に胸を焦がしたり、でもやっぱりお守りにして抱いて生活を生き続けたりしてきた。

そして、今はただ、光のところにいてねと思い続けている。

 

冬に、大事な友だちが小さな頃から大切に大切にしている映画のジオラマが展示されていて、それを一緒に見に行った時。大きな大きなそのジオラマから溢れる柔らかな灯りを見て、その子が「だって、この光、全部味方なんだよ」と呟いた。その言葉が忘れられなくて、胸の中にしまわれたまま、たまにふと心から顔を出す。

「だって、この光、全部味方なんだよ」

 

それを私はよく知っていた。世界というのは自由で千差万別なものだから、少し顔を上げると色んな声が聞こえてくる。何か知ってるからこそ高く声を上げる人、何も知らないのに面白そうにいじくり回す人、よくわからないままイメージを語る人。多分、今年はね、おんなじ事務所に大切な人がいる人たちはみんなそうだったでしょう。ネットの海はもちろん、普通の人からもふいに無意識のナイフが飛んでくる。心に盾を張っても張っても足りなくなる。でも、コンサートに足を運べば、「好き」だけでできたその場所で色とりどりの光が、白いペンライトが、青い灯りがともる。会場が大きければ大きいほど星の海のようになるその光を見渡しながら、確かに私は思う。この光は全部味方。大丈夫、全部味方だ。そしてそれを綺麗だと見惚れる私は、それが本物だってちゃんとわかる。

 

もちろんね、前にブログで少し書いた通り、本当はそのペンライト一本一本に、本当にいろんな思いが埋まっているのを私は知ってるんです。その中には嫌悪や嫉妬だってあれば、寂しさや呆れだってあるんだろう。でも、光れば全部星になる。

自分でこの場所に来ることを選んで、労力をかけてチケットを取って、会いに行こうと足を動かして、自分の手でペンライトを持つこの場所は、ネットや世間の『外』とは明らかに違うのだ。ここはそういう場所。たくさん頑張ってきてくれたアイドルと、たくさん頑張ってきた私たちが、囲まれた『中』で出会う場所。祝祭のような、守られたお城のような、特別な場所。お互いの背中にきっと受けてきた矢が刺さっている、擦り傷もついている、明日への不安が心の奥底で息を潜めて噛み付く時を待っている、それでも、今ここには味方しかいないのだ。大好きなアイドルが光を振り撒くのを見て、私はああ、私の味方だと思う。私の周りにいる知らない人たちがあげる歓声を見て、私は勝手に、それも私の味方だと思う(もちろん、好きな人が同じだったら、ファンサや恋愛感情から見たら敵同士なことだってある。好きな人やグループが違っても、対立のために敵にもなる。でも、もっと大きな大きな目で見ればやっぱり私たちはここにいる時点でひとしく味方なのだと今年は特に深く思った一年だった)。

 

なすくんを好きになってから、勝手に周りの声や空気によって不安になった時、それでも結局現場でこの目で見た光やそれを見て抱いた自分の感覚だけが本物だと何度も改めて確信して救われてきた。だから私はいつも、回数が正義とか行けない人はファンじゃないとかそういう意味ではまったくなく違う意味で「現場だけが答え」とよく思う。「ぜんぶ味方だ」って思った今年も、結局同じことなのかも。光があるって、味方がいるって、私にとってはこれが本当だって、その場所に行けばちゃんとわかる。答えはそこにある。

 

だから、だからね、アイドルの方にも、なすくんにも、そう思ってもらえたら嬉しいなと思う。この光ぜんぶ、ぜんぶ君の味方なんだよ。すごい、すごいよね。こんなにすごいのはなすくんがすごいからなんだよ。ペンライトだけじゃない、ステージからきみを照らす照明の光、きみは照らすに値すると理解してそれを動かす人、キラキラ輝くきみの衣装を作った人、きらめく小さなボタンのひとつひとつ、きみが立つ頑丈なセットを組んだ人、スケジュールを組んだ人、それらを反射させる太陽からできた空気の光、もっともっと広く言えばそれを作った宇宙まで、全部きみの味方。そして何より、きみの心の奥から湧き上がる、きみ自身が努力で作り上げた光。ペンライトはそれの反射のようなもの。それが全部きみの味方。偶然や奇跡にも思える、でもちゃんと意思によって選ばれている光。

 

大事なフォロワーと行ったカフェで、蓄光の石を「星のかけら」として貰った時に、光らせれば光らせるほどそのあと暗闇でもほわりと光るその石を見て、「なすくんみたいだね」という話をした。なすくんは蓄光の人。努力で光を蓄えて、なすくんは光っている。私たちはなすくんの光を浴びてたくさん生活を頑張る力をもらえるし、会場を出た後も胸にまだ光が蓄えられてちゃんと残っているのがわかる。そして、私たちの振るペンライトの、ステージの光を浴びれば浴びるほど、なすくんはそれを吸い込んでますます一番光っていく。暗闇になっても、その光は消えない。もしも頑張れない時があっても、真っ暗に思える日があっても、ちゃんと蓄えていた光がいつだって光ってる、過去に積み重ねた光が、いつまでもいつまでも今と未来のなすくんを守る。それを分かっていてくれたら嬉しいななんて、勝手なことを考えるのだ。

 

だから、光は全部味方だし、なすくんはいつも光のところにいる。それってね、なすくんを好きでいる私も、いつも光のところにいられてるのと同じなんです。すごいね、すごいねえ。何回苦しくなったり、勝手に焦ったり虚しくなったりしても、やっぱり私は思います。アイドルを好きになるって、素敵なことだねえ。アイドルってすごいね。好きになれて嬉しいね。アイドルを好きになるって、なんて、なんて、幸せなことなんでしょう!

この光に出会えたこと、この光を抱いてこれからもずっと歩いていくこと、それがもう出会えた意味なんだって思えるんです。いつか終わることは、この時間を「何もなかった」ことにはしない。光がずっと続いてくれたらそりゃあもうそんなに嬉しいことはないし一番の願いだけれど、でも、光が終わることは、私の中にある貰った光が消えることとはイコールじゃないのだ。

ひとときを駆け抜けて、抱いた眩しさを希望にしたこと、それが出会った意味になる。

 

光のところにいてほしい。そしてそれは暗闇からじっと願うことじゃない。私も光のところにいるのだ。私にもいつも、柔らかな光が差してる。それをこの7年、いつもなすくんが教えてくれた。私も光のところにいたいから、自分の足で歩くのだ。それが今はちゃんとわかる。たとえばそうして生活が忙しくなる度、なすくんのいる場所と私の光のところは、段々ずれていって遠くなっていくのかもしれない(最初から近くないよ同じ世界じゃないよなんてことはわかってますが)、でも光のところは全部なすくんのところだから、結局二つは柔らかく繋がる。それもちゃんと今はわかる。だから、ただ、願うだけ。

お誕生日おめでとう。いっぱいいっぱいおめでとう、たくさんたくさんありがとう。光のところにいてね。ずっといてね。

 

生きていく内にいろんな綺麗な光を見てきたけれど、どんな自然の光や技術の眩さに見惚れても、世界中の全部の光をかき集めても敵わないくらい、なすくんが一番キラキラして見える。私の世界で一番綺麗な光をちゃんと見つけられたから、今日も明日も私は大丈夫。なすくんも大丈夫。大丈夫、大丈夫。この光全部きみの味方、光のとこは全部きみのとこ。

だからあの輝く場所で、ステージの上と下でまた会おうね。またね。光のところにいてね。

38万キロ越えたっていい

 

今年ももう終わるわけです。早い、早いねえ。歳を重ねるほど時が経つのが早くなるのは、やっぱり生きて重ねた母数が大きくなるからなんだろうか。比例して、なすくんと過ごす時間もどんどん早く過ぎていきますね。

なかなか表に浮上するタイミングがなくなってしまったんですが元気に生きてます。

 

2023年のなすくんさ、

顔が良かったよね……

なんかなすくんって最初からめっちゃ完成した顔をしていたじゃないですか。こんなこと書きたくもないけど多分同じ時代を生きてきた同担さんなら何度も何度も「あの頃がピーク」とかセンスない言葉を見かけてしまったことがきっと何度かあるくらい、なすくんは始めからかっこいい男の子だった。あまりに始まりが鮮烈な輝きだったから、私はそんな意見を聞くたびにぐぬ…あれが眩しかったのは知ってるしわかってるけど、でも私はいつだって今が一番好きだし…今がピークだし…ふん…ってなっていたんですけど、でもさ、今年はあまりにかっこよくて「いえ〜い!ピークとか言ってた人たち、見てる〜!?!?」って言わないけど大声で全世界に言いたくなるくらい本当に格好良かった(ごめん)。

 

もう何年もなすくんを見ているのに、新鮮に「えっ、なにこのかっこいい男の子……」ってびっくりしてしまうくらい2023年のなすくんはかっこよくて綺麗で、髪の毛に反射する光は天使が宿っているようで、瞳は深く貫くようで、私が芸術家だったらその場で生涯を捧げていただろうくらいうつくしかった。内側から発光していた。ほんと、かっこ かっこよいんだよ〜〜留まらないかっこよさ。まだ上があったんですか!?になる。なんか今年好きになった人みたいな今更な話してないですか?って文字打ちながら私も思ってるけど、今年好きになった人状態になって打ちのめされちゃうくらいかっこいいのって凄いと思う。

 

空気の全てが似合うwhite loveから始まった一年、イントロの柔らかさと光が溢れ出したテレビ画面を見て、私はこの一年の幸福を約束されたような気持ちになった。

帝劇、にこにこしてて本当に可愛かったな〜やっぱり私は冬の帝劇が大好き。舞台になると特に唇がぷるぷるになるなすくんが大好き。二階席の方を見上げる時に、瞳に綺麗に星が光るあの角度が大好き。会えなかったお誕生日だって、ちゃんとファンに優しい贈り物をくれて嬉しかった。

愛しい愛しいアリツア。オープニングから「デビューしたっけ?」ってくらい眩しくて愛しくて。美 少年さんの作る世界、やっぱり大好きだな〜って愛しくなった。台風ジェネレーション、本当によかったよね……あとブンシャカ、あれによって私たちはもう「あのブンシャカじゃないと満足できない身体」にされてしまったよね……6人が頑張ろうとしてるのがこんなにも空気で伝わってくるの、すごかったな〜上手さとか激しさだけじゃない、あの気迫のような空気に私は圧倒されてしまった。私の好きになった星、すごすぎ…?の気持ちが湧き上がってきた。円盤待ってます。

夏のドラマ。繋いでくれてありがとう、の宝物。いつも夏は宝物みたいな夏。なすくんの涙、本当に本当によかった。苦しくなるくらい巻き戻して何度も観た。舞台の上でふいに溢れたそういう涙じゃなくて、演技として物語の中で泣くなすくんが愛しくて、リアルなのにでも全部が綺麗で、あれだけで映画が作れそうなくらいに光っていて、凄いなあってまたこの子のことを好きになった。EX、いわゆる「お客さんを呼べるスペシャルゲスト」のような立ち位置になすくんがなったのも積み重ねた時間を感じてしみじみしちゃった。もう初々しくてひよこみたいでかわいい男の子たちじゃなくて、誰かの夢の先に憧れられるような、頼れる素敵な先輩なんだよね。素敵だね。

少年たちも、理由付けが今までで一番わたしは美の優しさにしっくりくる設定でとっても好きだったな。なわとびの跳躍力低くてかわいかった。

ああそうラヴィット!幸せだったな、とびきりのご褒美を与えられたみたいな時間。嬉しくてかっこよくて、最高だった。24時間テレビも、過去の思い出とともに感慨深くて特別な心地だった。テレビも、雑誌も、たくさんありがとう。ブログも動画も、tiktokもありがとう〜

 

来年はどんな年末を迎えているんだろうって、去年の今頃も考えていて、やっぱり予想していた通り、考えてもなかったことばかり起こった。きっと来年もそう。色んなことがあったね。ファンも、世界も、傷ついてしまった人がたくさんいたね。でも、年末の今まとめるとね、私はなすくんのことが1年間ずっと大好きだった。振り返ると愛しかないのよ、不思議だね。

 

唐突だけど月ってね、1年に3.8cmずつ私たち地球から遠ざかってるんですって。本当はたくさんの隕石があたって傷だらけかもしれない裏側を隠して、いつだって同じ面を見せて、柔らかな光を反射させてくれている月は、少しずつ遠ざかる。

知っての通り私はなすくんのことを月や星や宇宙そのもののように感じているやばいオタクなので、今年はよくそんなことを考えていた。

3.8cm。そのくらいの距離に、かつてなすくんは確かにいたことがある。触れられる距離に立って、手を伸ばせばその手を合わせてくれるような、そんな距離にいたことがある。湾岸やクリエは気が付けば終わり、EXシアターは横浜アリーナになった。今だって運が良ければすぐ横の通路を通過することだってもちろんあるのは知ってるけれど(香水をつけてきてくれるなすくんは世界一すてきでかわいいひとだよ)、でもやっぱり、そうやってなすくんも、段々と遠くなる。もう何度も行ったことのあるはずのドームの会場に改めて美担として足を踏み入れた時、その大きさに私はくらくらした。この人はこれからここに立つ。そしていつか絶対にグループ単独でここを埋める。少しずつ、少しずつ遠くなっていく。

大きな人になっていくほど、見つめる視界に入る姿は小さくなる。当たり前のような矛盾のような不思議なこの事実を抱えながら生きること、昔の私だったら、やっぱり正直さみしかったと思う。寂しいというか、怖いが近いかも。なにが怖いんだよと言われたら上手く言えないけど、遠くなってしまうのが怖かった。

 

でも、少しずつ確実に遠ざかるなすくんを実際に目の当たりにすると、小さくはなったけど、それはただの距離の問題で、むしろ日常のそこかしこ、生活の身近にあの子はいた。テレビの中に、ふと寄った薬局の化粧品コーナーに、人との会話の中に、そして私の心にも、前よりもすごくなすくんが生活に溶け込んでいる。なんかもうここまでくると私にとってなすくんって自担♡というより人生を頑張るための共闘者のような存在に勝手になっていて、なすくんが頑張っている姿を見ながら「がんばれ!!」って大きな声で思って応援しているのは変わらない事実だけどそれ以上に「私も頑張るね」って静かに誓いたくなるような、そういう存在、そういう好きに気が付けばなっていた。すごい、すごいな。これはね、なすくんが素敵だからだよ。人に何かを与えられる人。それはなすくんの努力が奥深くて、なすくんが豊かな人だから。

 

色んなことがあった時、それでも私は私の思い出やなすくんに貰ったものをそっと覗いてみたら、そこにはびっくりするくらい愛しかなかった。多分ね、多分だけどね、もっと早かったらだめだった。もっと遅くても、逆に遠ざかりすぎてダメだったりしたのかも。でもとにもかくにも今の私が思い返すものは愛しかなかった。私の知ってるものはなんにも嘘じゃなくて、全部紛うことないただの愛だった。

落胆に簡単に天秤が傾くには、反対側に愛や救いや貰ったものや時間が乗りすぎていた。これをね、強がりや盲目じゃなくて、私は信頼と呼ぶんです。私は私の好きを、見つめた時間を、なすくんのことを信じていて、ただただなすくんが好きだった。大好きよりもずっと好き。

 

3.8cmどころか、きっと物凄い速さでなすくんは遠ざかっていく。私はそれをファンとして追いかけながら、でも自分の速度で、自分の道を歩いている。私たちはそれぞれ柔らかく遠ざかっていく。そうして今、気が付けば私となすくんの間にあるちょうどいい距離。確かに前より遠い。確かに前より、見えないところも増えた気がする。でも、これは時間と思い出と心の積み重ねでできた、一番ちょうどいい愛しい距離だった。ちょうどいい引力でくるくると回ってたい。たくさんたくさん、歩いてきたね。遠ざかることは離別じゃないのだ。それを私は、この子と会って初めて知った。

崩れることも転がり落ちることもなく、ちょうど良い引力で引き合って、支えられて、私は今日も人生を2本の足でちゃんと立てている。だから、遠くなることはもう私にとって怖いことではない。

 

同じ時期に好きになった大切な友だちと「遠くで光ってるのを見るのが今は一番いとしい」の話を今年していた。本当にそうだ、そうなんだよって、心にすとんと綺麗にはまった。

遠くなるほどなすくんの光は強くなって、広く広く照らしてくれるようになる。だから、見上げた時に「遠くて小さくなっちゃったなあ」って思うんじゃなくて、見上げる度に私は「どこにいてもなすくんがいてくれる!」って思えるようになった。そして、遠い、私が見られないところで、私の知らない誰かがそのひだまりに救われるのだ。それは凄いこと。愛しくて、おおきくて、素敵なこと。

だから、遠く、遠くまで羽ばたいてほしい。いちばん大きな星になって、世界全部をだいじょうぶにしちゃってほしい。誰かの放つ言葉の矢が、面白がって投げられる石が、小さくてささいなものになるくらい、大きな光であれば良い。それは全肯定で何もかも許されていてとか、すべてを無視して都合よくひた進めとか、そういうことじゃあないのだ。傷なんて、私がなにをどうしようとその裏側にとっくについてる。だから、それでも光ってくれるなら、どこまでもいってほしい。

大好きな人。かわいいひと。あんなにたくさん綺麗な星がある宇宙の中で、私が見つけて選んだ宝物。こんなことを言ってたって、引力が崩れて、勝手に苦しくなる日がまたくるかもしれないね。でもその時は私が私の心を整えて、またちょうどいい引力でいられる場所を探すだけだから、だからなすくんはどんどんその先へ行けば良い。遠く、大きく、光のとこにいてほしい。私もその光に負けないから、頑張って生きてみせるから。

 

2023年もたくさんたくさんありがとう。昨日も大好きだったし今日も大好きだし明日も大好きなので、きっと2024も何があったって愛の年になるんだろうと思います。

あったかく過ごしてね、寝られる時にゆっくり寝てね、美味しいものたくさん食べてたくさんたくさん笑っていてね。突き詰めると今年も来年もやっぱり願いはそれだけなんです。幸せでいてね、光のとこにいてね。世界中のすべての祝福に照らされて、スーパー幸せになっちゃおうね。

 

来年もまた会えるのを楽しみに待ってよう〜!

あ、円盤も待ってます。

星を撒く人


初めて高いタワーに登って街がつくる灯りを見た時、あの光が全部生きてるんだってびっくりしたのをまだ覚えている。人の命が消えたら星になるのかならないのか知らないけれど、確かに生きることは光ることなのだと思った。
初めてコンサートに行った時、暗くなった瞬間に一気に際立った色とりどりの光を見て、宇宙みたいだってびっくりしたのをまだ覚えている。その好きがどんな喜びや期待や少しの憎しみや嫉妬を抱えているのか私は知らないけれど、でも確かに好きは光るものなのだと知った。

スーパーキラキラアイドルを目指す星の男の子を好きになって、生まれてきてくれたことを心の底から愛しく喜ぶ、そんな誕生日を気が付けば何度も迎えている。20歳になった時、私自身は何も変わらないしあの子だって0時のその瞬間変わるわけでもないのに、何故だかそわそわしてたまらなかった。でも、20歳は大人の顔が急に差してくるのに、21歳と聞くとまだあどけない気がするからなんだか不思議ですよね。21歳。大人だけど子どもで、愛しくてかわいい。
過去もきちんと積み重なって、でもその先の未来にもなんだってどんな道だって残っているそんな21歳。

何度でも言うけれど私にとってのなすくんは星だ。ただの類友かもしれないですが私の周りもなすくんを星のように月のように思っている人が多いし、美 少年を、好きなアイドルのことを星座みたいに見上げている人が多い気がする。
なすくんは光る星のような男の子で、今だって眩しいのに、さらに一番大きく光ろうとしている強くてかっこいい男の子。
その星の燃料は生まれ持った輝きとか顔立ちとかはもちろんだけど、なすくんが必死で培った勉強、練習、犠牲(って言い方は本当に好きじゃないんだけれど)にした学生らしい遊びや家族との時間、そんなものを全部くべるように燃やしてなすくんは光っている。好きな作品に自分の全てを燃やしてでも何度でも生まれ変わって舞台に立ち続ける女の子の話があって、それを観るたびに私は私たちファンだって何だって燃料にして燃やしてくれて良いから光り続けてほしい、なんて勝手な望みをなすくんに対して抱き続けている。
色んなものを燃やして、なすくんは光る。綺麗な綺麗な青い炎は、この世界から見ると冷静沈着で賢く見える目に優しい柔らかな光で、宇宙から見れば青い星は熱い熱い色の証なんだからどれも本当になすくんにぴったりだなと思う。

思い出は、綺麗なものだけでできてない。
でも振り返れば全部キラキラして見えるのは、なすくんが道に星を撒いたからだ。
なすくんを見つめた帰り道、胸に炎の名残を感じて熱いくらいにほわほわとして帰るのは、なすくんが星を撒いたから。生きることは光ることだから、私たちは誰だって星を撒く人だけれど、なすくんは、美 少年は、世界中に星を撒ける人だ。
その時間その空間だけじゃなくて、会ってその笑顔を見た瞬間にもう、明日から一人ずつで生きる私たちの未来ごと星をかけてくれる人。何度へこたれてもあの時撒かれた星を頼りに、私たちは何度でも頑張って歩くことを選べる。生まれてきたことが怖くなくなる。
そしてこれも勝手な主観だけれど星を撒く人を好きになった私たちは、同じアイドルを好きになった人たちは、なんだかその星を大事に抱きとめるのが上手い人が多い気がする。みんなが彼らを、貰った星を、大事にしている。それがすごく素敵でなんだか安心できて大好きで、私はこうやってこの6人がつくる柔らかな世界が好きだなと何度でも思うし、本当に本当に偉そうだけれど今おなじような傷の中で星のない夜を歩く迷子のような人が、早く美 少年と出会うべくして出会う日がくるように勝手に祈っている。

と、なんかまた相変わらず抽象的な話ばかりしてしまいますがとりあえず今の私はとてもなすくんに会いたい。また会える日をわかっても、貰った星がまだ光ってても、会いたいものは会いたいのだ。会うって言う表現も人によっては違うのかもしれないけれど。
休演だと最初から分かっていた年は、仕方のないものだし前後全部誕生日!の気持ちでいた(?)
でも、会えるはずだったのに会えないと思うと、今年は今までで一番なすくんが恋しい気がするから不思議だった。不思議だよね。だってだってそもそもなすくんのこと知る前は、1月16日はただの平日だったのにね。それがこんなに特別な色をして、特になすくんをこの目に見たい日になるんだから不思議だ。不思議だし、すごい。一年の中でひときわ輝く大切な日をなすくんがくれたので、これもやっぱり星を撒くということなんだなと思う。365日の中で星のマークが貼られたような、いっとうぴかぴか光る1日。ちゃんとこの寂しさごと大事にしたいな、と思う。来年にはこの日のことを心の宝箱の中からごそごそとああそうそうこれこれ、この時の私はねって取り出して慈しみたいなと信じている。
綺麗になすくんのことを思う時も、ちょっと苦しく思う時も、ひとしく心が動いて光ってるからすごい。

何度でも言いたい。私の好きになったアイドルは、星みたいな男の子。21歳の、星を撒ける男の子。
月の光が強く当たると、そのあたりはむしろ仄暗くブルーグレイに見える時があるらしい。自分の手元が青白く感じても、本当は頭上にものすごい黄金色の光がさしていることを、私は忘れないようにしたい。そして勝手に、本当に勝手だけど、なすくんもどうか忘れないでほしいなと勝手に思う。自分の手の中が覚束なく思える時があっても、光がわからなくなっても、なすくんにはいつでも光が差している。青色は光の色。頭上に、足元に、振り返った先に、目の前に、手のひらの上や胸の中に、ずっとずっと光が満ちてる。なすくんが生きる世界には後ろにも前にも光しかないです、光の国に生まれているので。

自分を燃料にあんなに光ってくれる男の子が、こんなにたくさんの私たちに光を撒いてくれること、奇跡みたいに凄いことで、誰だってできることじゃない。ほんとにすごい。とっておきのとびきりの人だ。スーパーキラキラアイドルだ。
大人は強い。だから、足を力を経験を手に入れて素敵な大人になっていくなすくんはすっごく強い。でも、子どもの心も何より強い。だから、子どもの頃の夢を抱き続けて目指せるなすくんは何より強い。
スーパーキラキラアイドル、子どもの無垢さと強さと真理をきらめかせたようなその響きが本当に本当に大好きで、私たちとなすくんとみんなの間の魔法の合言葉みたいで、だから、その言葉を手に取っているなすくんは無敵だから、ずっとそれを剣に盾にして走り続けてほしい。

20歳も、元気で、笑って、ここにいてくれてありがとう。夢を選んで、光を見てくれてありがとう。出会わせてくれてありがとう。
こんなにも大事な宝物のこの星を守る力は私にはなくて、私は撒かれた星を抱きとめてただ生きることしかできないけれど、でも、それでも、その星が光ってること、唯一だってことをずっとこうやって叫び続けたい。
元気で、笑って、幸せでいてほしい。

こうやって想うことが宝物になって、会えなかったこの1日も星のように思えるのだから、やっぱり生きることも好きも光るんです。
光ってるから、うれしいね。
出会えてうれしい。光ってくれるのはなすくんの力で、見つけたのは私の偶然の運命のような力で、だから私は今日もこんなにも光る人を見つけられた私が自分で嬉しい。勝手に誇らしくて、幸せで、また今日も世界のことがちゃんと好きになる。なすくんに会えた大好きな世界だから私もまた頑張れて、頑張って仕事をしている時に、家に帰って灯りをつけたその時に、私が今いる光もどこか遠くのタワーから見たら星に見える。そうして星を撒く人になる。
そうやって、会いたいな〜って思いながら頑張って生きる毎日と、やっと会えた祝祭のような1日は繋がっている。今日この愛しい誕生日も、また来年の愛しい新しい日に繋がっている。苦しい好きも嬉しい好きも、いいもわるいも、好きは全部繋がってる。繋がりの中で星を撒きながら、そうして生きていくことを私はきっと愛って呼ぶのだ。

本当に本当におめでとう、たくさんたくさんありがとう!
なすくんが元気で幸せでいますように!

 

ずっとずっと


「絶対に忘れない! ずっとずっと、死ぬまで覚えてる!好きなものが変わったとしても、趣味が変わったとしても、きっと、死ぬまで覚えてるよ!
だってただのライブじゃなくて、私の人生にとっても、すごく大事な瞬間だった そう思えるから
きっとこの景色は、私が死ぬ日まで、ずっと、私の中に一緒にいるんだ!」


大好きな作品の中で、ファンが大好きなアイドルを見ながら言った台詞。
ファンの「一生好き」なんて嘘で、アイドルの「ずっとここにいる」も多分嘘になりやすい世界で、でも、それが答えだなってすとんと思った。
その言葉を全部噛み締めても足りないくらい、夢みたいな春だった。このほしに生まれてきたことを後悔しなくなるような春。会えた日から会えない日々まで、ずっと、ずっと、今も私の中に一緒にいる。


なすくんを好きになった日、ずっと好きでいたいなと思った。

気が早いので好きになった日、こんなにもこんなにも好きな気持ちが消えないといいな、この世界で息をしていてほしいな、ばいばいする日がこないと良いなって既に考えていた。

私にとってのなすくんはとてつもなく大きい存在だけれど、こんなにたくさんの感情や感動を貰っているけれど、私はただのアイドルなすゆうとくんのファンでしかないので、なすくんと私がお別れする道はたった二種類しかない。

私の好きが色褪せるか、なすくんが舞台から降りるか。

どっちが辛いかなんてわからなくて、でもどっちも恐ろしいことだった。恐ろしいからこそ、心を守るために何度も想像した。


お別れはじわじわとくる。
段々と、柔らかな水が染み出して薄くなっていくように、なすくんのことがそこまで好きじゃなくなっていく。嫌いとまではいかなくても、好きの海が凪いでいく。幕が開いた瞬間、流行りの音楽の歌詞を聴いた瞬間、月を見た瞬間、本能のように咄嗟に思い浮かぶ存在が変わる日。何事もなく世界は廻るのに、私の中のなすくんが遠くなる日。


それか、お別れはばっさりとくる。
ある日幕が開くとなすくんがいなくなっている。「あれ?」って思って、プロフィールを探すとページが消えている。
なんてまあこれは数年前の想像なので、今だったら突然動画や文章のお知らせがあがる形なんだろうけど。
とにかく、何事もなく世界は廻るのに、舞台にも雑誌にもテレビにもどこにもなすくんがいなくなる日。

考えても仕方ないそんなことを考えながら、それでもいつもなすくんを見ていた。ずっとずっと。
気が付けばなすくんのダンスは見惚れるほど柔らかくなって、元々ふと見れば優しげだった表情はいつ誰が見ても優しいものになって、必死に努力を傾けていた学業は受験生を応援する側のお仕事につながっていった。
好きになった日から今日まで、思っていたより何倍も何倍も、私はなすくんが好きだった。本当にずっとずっと、好きだったのだ。
それが凄く嬉しくて、びっくりする。


今年もね、すごくすごく大切な一年だったね。
初めての場所、生きてきた答え合わせみたいな祝祭の春。
屋上と暑さと光、慣れ親しんだ愛しさを年々重ねるわたしたちの大切な夏。
ペンライトを振って立っていた身体をおろして、心もゆるりと解けるような舞台期間。惹きつけられるように見つめた秋。
これからくる、大好きな光に溢れた冬。
テレビで、雑誌で、ドラマで、ラジオで、CMで、街頭ポスターで、たくさんたくさん出会えた思い出があって嬉しかった。お友だちとピザを食べるだけで嬉しくて、歩いてる時にふと現れる大きなポスターに胸がぎゅっとした。生活にどんどん美 少年が入ってくる。


思い出は確かにそこにあって、それでもやっぱり遠くなっていくから、あの特別な春が夢だったみたいに感じてしまうこともある。
遠くなる日々が溶けていつか消えて、「ずっと好き」が終わっちゃった後、わたしには何が残るのか、そんなしょうもないことを考えることもある。
でも、夢の名残はちゃんとずっと、私の中に残っている。一緒にいる。
光みたいな春を終えて、終わりを怖がってばかりいた私の中にすとんとちゃんと種が落ちた。ずっとずっと、大丈夫。


好きが光ることってあるだろうか。
幼い頃両親から受けた愛情が、制服を着て友だちと笑いながら分けあった時間が、恋人との間にあった空気が、思い返せば光っているように思えることもある。でも、物理的には光ることなど滅多にないし、それらは全部目に見えない。
でも、アイドルへの好きは光るのだ。それがすごいなって思う。私たちはペンライトで好きの海を作る。そして、アイドルも光る。スポットライトで、スパンコールで、物理的にキラキラと光っている。肉眼で証明できる星。

好きはちゃんと光るって、夢みたいだけど夢じゃないことを、なすくんがいつも教えてくれた。

夢のような世界は、あんまりにも好きだと「現実逃避」だなんて言われてしまうこともある世界で、でもそれは確かに現実としてそこにある。頑張って生きる毎日と、奇跡みたいな光の瞬間と、余韻を抱き締める帰り道と、また続く日常のつまらなさは全て地続きになって繋がっている。
これで明日も頑張ろうって思えた勇気や、もう何もかも大丈夫だと信じられた気持ちも、毎日を揉まれていく内に簡単に萎んでしまったりだってする。逆に、どんなに心がぺしゃんこになっても、あの時の光がちゃんと燃え滓のように胸に残っていて、ふとした邂逅で簡単に燃え広がって私をあたためたりする。そういう時、好きに守られてると思う。

 

気が付けばなすくんを好きになって、6年が経とうとしている。
気が付けば私の生活の中で私となすくんは当たり前のように共存していて、ステージはあんなに遠いのに、というか有難いことにどんどん遠くなっていくのに、ふと隣を見ると今も「なすくん」がそばにいて心を守り続けてくれているような気がする。(こわいね)

それくらい気が付けば私の心と私の好きはいっしょくたに混ざっていた。

ずっと好きって、きっとない。
ずっと6人で、ずっとそこにいてくれることも、もしかしたらないかもしれない。いて欲しいけど。

そう思うことが、大人になって時代が動くほどますます増えていく。“ずっと”って、きっとない。

私となすくんの、お別れの二択。

でもそのどちらが来ても、多分私はこれからも「なすくんを好きだった私」と生きている。それはなすくんと生きることと似ている。なすくんのことが大好きで、好きで好きで好きでたまらなくて、そうして色んなものと一緒に生きてきた人生の中で、今の私はそう思っている。

おしまいがどんなにあっさりと薄れたとしても、逆に過去を恨みたいくらいぐちゃぐちゃの終わりになったとしても、好きでいた中で見た景色の全部が、ちゃんと私の中にある。ずっとずっと。お別れしても、お別れにならない。

思い出が遠く小さくなってしまったように思えるのはただの距離の問題で、その存在が消えることはない。

 

「愛は花だ。運がなければすぐに枯れるし、腐ってなくなってしまう。だけど咲いていたことまで否定しなくたっていい。なくなったからって、偽物だったわけではない。昔、きれいな花が咲いていた。それでいい」


好きな作家の本の中で、拗れた父との過去を花に例えてそう思うシーンがある。
私となすくんの間にも、今とても、とても綺麗な花が咲いている。私のとびきりの宝物で、大事に大事に育てている。私の大切な花。
花が枯れても、踏み潰されても、自分で詰んでしまっても、大事にしすぎて腐った悪臭を放ったって、咲いていた事実は消えない。
もっと大人になった時、おばあちゃんになった時だって、ああ綺麗だったな、あの花はよかった、すごくすごくよかったって、ずっと思い続けたい。ずっとずっと。


叶わずに終わった恋にも意味はあるんだと、クローバー入りのサンドイッチを食べて泣いた男の子は言った。
子どもが大人になって離れる日が来ても、一緒に過ごした夏の日の黄金色の昼下がりが美しかったことは消えない。心を慣らした大好きな友だちがいなくなっても、ちゃんと麦畑は友だちの髪みたいに金色に輝き続ける。
お気付きのように私のブログはいつも私が人生で摂取してきた好きなものの引用でできている。そうやって、出会った人や出会ったものが全部溶け合って人生は続く。宇宙のスープ。

出会って、混ざって、繋がって、選んで、そしてなすくんを好きでいた。今も、好きでいる。

今はちゃんとそう思える。この先の未来にそれさえ信じられなくなる日がきたとしても、きっとその時はその時で新しいスープができあがっているはずなので良いのだ。悲しみだろうと悔しさだろうとそのスープには結局なすくんと過ごした時間や心が溶けている。この世に無駄な好きなんてひとつもない。

私の大事なものは全部まあるい円で繋がっていて、その一番向こう側に、なすくんがいる。ちゃんとずっと、繋がっている。遠くなっても、小さくなっても、ちゃんとまあるく繋がっている。繋がった円のその先で、なすくんがずっと笑って光ってくれていたらいいなと思う。

ずっとずっと。ってなんて無責任な言葉で、力のない約束みたいなんだろう。でも、口ずさんでみるとなんだか柔らかくて、お守りのように私の心があたたまる。ずっとずっと。なんだか魔法の言葉みたいに思えて、信じたいな、信じられるな、と思う。それはステージを見上げて祈る時の響きに似ている。ずっとずっと。

 

さっきも言った通りアイドルは、なすくんは、光の人だ。光れる人で、光らせられる人。なすくんがいつかその舞台を降りても、星を撒いた事実は消えない。地球を作ったのはなすくんだし、あの星を撒いたのもなすくんなんだって、ずっと覚えていて、自信を持って、胸を張って生きて欲しい。

そして私も星を見つけられた、なすくんを選べた人だってことを、ずっと胸を張って覚えていたいと思う。あの日撒かれた星と一緒に生きていく。ずっと私の中で生きて、共存して、ふと取り出して懐かしんで遊んだりする。

だから、ずっとずっと大丈夫。

また会えるから大丈夫だし、また会えなくても大丈夫。そんなことを思えてしまうくらい、私はやっぱり今年もなすくんが大事だった。頑張ってる世界一かっこいいひと。大事な、大事なかわいいひとだった。

 

来年も楽しみなことがたくさんある。まだまだ見たい世界もたくさんあるし、大好きななすくんと大好きな美 少年は私たちにまだまだ綺麗な景色を見せてくれると言った。あれ以上の景色なんてあるのか、って思っても思っても更新されるんだから、きっと来年もあれ以上の景色があるのだ。楽しみすぎますね!

とにかくとにかく元気でいてほしい。笑って、笑って、元気におなかいっぱい食べて、この世界を好きでいて欲しい。星を振りまいて全部を大丈夫にしちゃえば良い。

今年もアイドルを選んでくれてありがとう。見つけさせてくれてありがとう。

来年もたくさん夢をみようね。

 

またね!

 

好きの星

 

この瞬間を見るために好きでいたのかもしれない。好きを抱えた毎日は、この瞬間のためにあったのかもしれない。

 

大好きな、大好きな大好きなコズメロのイントロが流れて、光が弾けた瞬間、そんなことを思ってしまった。それくらい、眩しかった。

ずっとアリーナを夢見ていて、きっとその日に感慨深さで泣いてしまうことなんて何度も想像していた。何度も、何度も考えていた。それなのに思っていた何倍も、本当に何倍も彼らは眩しくて、圧倒的な光だった。

 

ああ、こんな瞬間、こんな日を迎えるためにここまで生きてきたのかもしれない。

これからきっとこれ以上の幸福があるはずなのに、そんなことを思ってしまったのだ。

祝祭だ、と思った。

奇跡のような瞬間に思えるけれど、毎日は地続きで、毎日生きてきた積み重ねの先にこの日がある。頑張った私へのご褒美みたいだった。そしてきっと多分彼らにとっても、頑張った毎日のご褒美だった。そんなことを思えてしまうくらい、嬉しそうな楽しそうな顔を彼らがしてくれるから、それがまた本当にたまらなく嬉しくて愛しかった。

 

好きになった時からずっとずっと眩しいのに、眩しくなかったことなんてないのに、ここ最近の美 少年は本当に光り方のレベルが違う。

初めてのアリーナコンサートは、びっくりするくらい新しい眩しさや格好良さを感じながら、なんだか昔をたくさん思い出しもして、なおさら胸がいっぱいになるような、そんなコンサートだった。

 

ステージを駆ける彼らの眩しさにびっくりした。なんかこうどうしても偉そうな言い方にしかならなくて自分の語彙力が歯痒いのですがアリーナが全然「足りていた」。多分あの子たちのやりたいことってもっと広い会場の方がさらに輝くのかなあと近年勝手に思っていたけれど、まさにその通りで、画面から移動から演出、6人だけでちゃんとあますことなく繋いで、会場を満たしていた。上手くなった歌。揃いすぎて驚くくらいのダンス。ラップも、アクロバットも、新しい演出も変わらない可愛さも全部が新鮮に眩しかった。君のために僕がいるを歌って踊る姿が、歌詞も含めて美 少年の良さの全てを表しているようで愛しかった。

狭い柵をてくてく歩いてたくさん愛を振りまいてくれていた彼らが、広い会場を駆け抜けて、せりあがったり吊り下がったりするステージや、トロッコにも乗って愛を届けに行く。手でぱーんぱーんなんて可愛く紙吹雪を出す真似をしていた彼らに、キラキラしたテープが溢れるくらい発射される。嬉しい嬉しい、新しい景色。

それと同じくらい、好きになってからのたくさんの思い出が重なる。可愛くてキラキラしていたハニビのクリエ、スパルタ指導の湾岸。あの日、初めてオリジナル曲をもらった冬の帰り道。頑張ってみんなで予想して引き当てた実演で見たパーリーモンスター。TDCのウェザーニュース。暑いサマステのSHAKEや真剣サン。台詞メドレー、Mステのあの日。嵐さんの後ろで楽しそうに踊っていたあの日。帝劇で観た、横アリで観た、東京ドームの数曲の出番で観た、あの日。頭の中に、忘れられないたくさんのなすくんが、6人がいた。そして目の前に、大きくなって、それ以上に眩しくなった彼らがいた。走馬灯のような、夢のような景色にくらくらした。

 

「ねえ、嬉しいね、眩しいね」

初日、隣の女の子たちがそうぽつりとつぶやいた時、前にいた女性が涙を拭う仕草をしていた時、きっと思い出や景色はそれぞれ違くても、おんなじような好きの中に私はいる、そう思った。

綺麗な、綺麗な星の海。他の会場ももちろん綺麗だけれど、やっぱりアリーナくらいになると、私は強くそれを思う。

たとえば私が、真っ暗な部屋の中で一人ペンライトを持っていたって、それは本当にただライトを持つ私に過ぎない。あんまりにもちっぽけで小さな光。

それが、好きがたくさん集まって、あの場所でだけ、あんなにも宇宙みたいな光になるのだ。それ全部が、好きの結晶だった。

私は自分の光が分からない。ただ、祈るように信じるように青いペンライトを持っている、いつも。けれど、私から見た会場は、向こう側は、物凄く綺麗な光の海で。なすくんはそれを眩しそうに眺めていて。だから、多分私も向こう側から、ステージから、そんな遠くの誰かから見たら多分、こんなに綺麗に光っているのだ。私の好きは、こんなに綺麗に光って燃えてる。天の川の銀河のように、私は星の海になってる。それがすごく不思議で、すごく嬉しかった。

うれしくて、まぶしい。

 

そして、胸がいっぱいのあと、溢れるばかりの幸福と、思い出が回る小さなさみしさ、いろんな気持ちがゆらゆらと揺れていた。

また勝手に主語を大きくしてしまうけれど、みんな多分、おんなじような感慨にいた。眩しさに、愛しさに、感動していた。みんな彼らが好きだった。

それと同じくらい、色んな好きが揺れていた。

人の数だけの、「好き」の形。

 

会場で聞こえる声。

うれしい。胸がいっぱい。感動しちゃうね。懐かしいね。寂しい。チケットどんどん取れなくなっちゃうね。またドラマやりたい。これ以上人気出なくて良いのに。もうEXは嫌だよね。サマステ卒業しないで欲しいなあ。大人になったよね。本当に赤ちゃんみたい。格好良すぎてやばい。まだまだ可愛い。もっと可愛いままでいて欲しい。全然こっち見てくれない!湾岸が恋しい。早くデビューしてほしい。大きくなって欲しいねえ。もうやだ、あの頃に戻りたい。

 

「出会えて毎日幸せだよ、ありがとう」って団扇を静かに持っている人がいた。ファンサを求めて、必死に呼んで怒ってる人がいた。可愛いポーズを頼む人、「抱いて」だなんて大人の文字を見せる人。

これ、全部、「好き」なのだ。どれが正しいとか良いとかじゃない。それぞれみんな、みんな彼らが好きなのだ。

 

こんなのは当たり前というか、そもそも普通にアリーナだとか関係なく前からそうだった。それでも、この広い会場になって、私自身色んな気持ちを抱えて、改めて物凄く実感してしまったのです。

こんなに色んな好きがある。私を含めてこんなに色んな感情の向け方で、温度で、「好き」が存在してる。そんな、ある意味自分勝手なそれぞれの好きが、理想が、全部ぜんぶ彼らに、なすくんに向いている。

こんなにたくさんの好きが一心に向く世界に、なすくんは生きているのだ。こんなたくさんの勝手な好きの上に、なすくんは立っている。あのステージの上で、それぞれのファンの感情を一心に浴びて、それでも眩しく輝いてくれている。

凄いな、と思った。これは凄いことだ。物凄いこと。きっとこのたくさんの好きを、全部叶えることはできない。だってなすくんは一人しかいないから。それでも少しでも掻き集めようと、こっちを見てくれる、ついてきてねって手を伸ばして、今回会えない人もまた会えるよって言葉をかけて、たくさん話し合いを練習をして、アイドルとして立ってくれている。

今までも、これからも。

 

光っていてほしいな。

ただそれだけを祈るようになすくんを見つめた。

光って、光って、光り続けて、どこまでもいけば、その数だけどんどん好きは膨らんで、求められて、落胆されたり寂しくされたり幸せにさせたりして、それがなすくんを悩ませることもあるのかもしれない。それでも、なすくんが目指す巨大な星は、そんな感情さえ全部凌駕してきっと輝く。輝くから、気にしなくて良いから、ただただ光っていてほしい。ちゃんとみんな、みんな、なすくんがだいすきだから。

光って、光って、どこまでもいってほしい。

私だって勝手な理想と好きと願望を抱える人間に過ぎないのに、私が願わなくてもなすくんは幸せになるし守れることなんて何もないのに、そんなことばかりを思っていた。

そうしてなすくんは無数の好きの上に立って、私たちはそれぞれの勝手な幸福や苦しさを抱えて、それでも同じようにペンライトを光らせて、星の海はすすむ。

 

 

2017年、帝国劇場の真ん中に立って、なすくんが自分の話を喋り始めた時。私は彼の身体があんまりにも細くて、ステージは広くて、たった一人で喋る声は真っ直ぐだったけれどやっぱりあんまりにもあどけないというか15才で、スポットライトは刺さるようで、胸がばくばくしたのを覚えている。

それから、5年間。初日や最終日に挨拶をしたり、りゅうがくんや私たちにお手紙を読んでくれたり、なすくんはどんどん大きく、眩しく、柔らかい声で語りかけてくれた。ブログでたくさん、たくさんの言葉をくれて。口調がゆるむ度、近付いたようなそんな気持ちにもさせてくれた。

 

そして、スプパラのあの時、ステージの上からこちらに話しかけるなすくんは、今までで一番、一番優しかった。なすくんはスピーチだって言ったけれど(そんなところもなすくんらしくて好きすぎる)私にとってはお話しで、お手紙だった。優しい、本当に溶けてしまうくらい優しい目でこっちを見ていた。広い会場を見渡すその目と、私の目が合うわけじゃない。それでも、確かにこっちを、みんなをちゃんと見つめてるって、そう思える瞳をしていた。

もうなんにも勝手な心配なんて、ばくばくとした勝手な胸の苦しさなんて、なかった。こんなに広い会場の全部を、まるっと包んでしまうくらいの眩しくて、しっかりとした、どうしようもなく強い頼りになる星だった。優しい声だった。

 

大丈夫だよ。また会おうね。

 

会場の空気がふわっととろけて、柔らかなもので満たされる。目には見えないけれど、確かにそこにある空気のゆらぎ。

温度や形は違えど、なすくんを好きになった時、横浜アリーナで破壊的なフレッシュさを携えた彼らが会場を揺らした時、誰もが「新しい何かが始まる!何かすごいものがきた!」って思ったあの時も、おんなじように空気が震えていた。大人になってあれ以上の感慨でびゃくやを披露してくれた時ももちろんだけれど、その時よりも私は、なすくんが挨拶をして、会場の空気が緩んだその瞬間一番、好きになった日を思い出した。

 

コンサートの前にプラネタリウムに行って、たまたま「星がまたたいて見えるのは何故だか知っていますか?」という解説を聞いた。あれは星の光と、それを見る私たちの間の空気のゆらぎらしい。空気が、大気が、星を揺らしてみせて、またたかせる。なすくんは、空気を揺らせる男の子だ。私はそれを体感として知ってる。ずっと、ずっと、変わらないなすくんの凄いところ。目には見えないけれど確かにそこにある空気のふるえを、ちゃんと伝えて動かせる人。人の心を揺さぶれる人。

だからなすくんは眩しい。ずっとずっと、瞬いている。

 

新幹線の帰り道、車窓を眺めながら。寝る前に目を閉じながら。次の日仕事に向かう朝の道で。おまじないのように唱えてみる。

「大丈夫だよ、また会おうね。」

胸の奥の方からじんわりとあたたかくなる。火が灯るように、心の根っこの位置を知る。そうしてきっと、これからも何度も、私は心を取り戻せる。そんな、魔法のおすそわけ。

 

私にとってのアイドルの定義は、毎日を頑張れる光をくれることなんだと思う。コンサートに行く時だけじゃない、雑誌を読んでいる時じゃない、何気ない毎日にも、力をくれる。だから私は好きになった時からなすくんのことをスーパーキラキラアイドルだと思っているし、今もそう思っている。どんどん強く、そう思う。

 

長くなってしまうから「彼ら」にまとめてしまってあんまり話せなかったけれど、私はこのコンサートで、ますます6人が、美 少年のことが大好きになった。私の星はなすくんだけど、美 少年は私の宝物だから、6人を溢れるくらい愛せること、みんなを素敵、大好き、と止まらないくらい思えること、すごく嬉しくて幸せなことだった。

この6人じゃなきゃ嫌だ、そう思う。この6人で良かったって、本当に、思う。この6人が好きなのだ。この6人だから、大好きになれたんだ。

愛しすぎてどうしても「もっと綺麗な景色を見せてあげるね!連れて行くね!」って言いたくなるしもちろんその力が私たちにも必要だけど、

でもあんなにあどけなくて可愛くてたまらなかった守りたい6人に対して、今は本気で「もっと綺麗な景色を見せてね、信じてついていくからね」と心から信頼して思う。それくらい強く眩しい星に、彼らはなっていた。

もちろん、今も可愛くてたまらないですが!

 

ねえねえなすくん、アイドルを選んでくれてありがとう。このたくさんの世界の中で、ちゃんと夢をここに見つけてくれてありがとう。光ってくれて、ありがとう。

なすくんがいつも言葉をくれたように、消えかけた心を灯してくれるように、なすくんが辛い時は、頑張るのが辛くて心が消えそうな時は、青いペンライトを思い出してくれたら嬉しい。ネモフィラみたいで、綺麗だったね。ネモフィラ花言葉は「どこでも成功」だよ、なすくんにぴったりだね。(あと「可憐」もぴったりですね)

みんなみんな、なすくんが好きだよ。だからなすくんも、大丈夫だよ。大丈夫。また会おうね。

 

そんなことを、思う。文にすると、いや文にしなくても本当に偉そうな言葉。それでもこれが私の「好き」で、そんな好きを光らせて、私はなすくんについていく。なすくんの夢に勝手に夢を見ている。

 

私は綺麗な思いじゃないと、綺麗な愛じゃないと、綺麗に光れないような光ってはいけないような気がずっと、ずっとしていた。

でも今は好きには色んな好きがあって、どれも全部正しくて、どんなに刺々しく見えても好きは変わらないし、逆にどんなに清らかに見えてもエゴなことに変わりはない。そう思っている。そして全部、ちゃんと光る。

光らせてくれるのだ、だって彼らがアイドルだから。私たちはペンライトに好きを託すから。

なすくんが、スーパーキラキラアイドルだから。

それってすごい、ほんとにすごい。何回ベリーグッド賞あげたって足りない。とびきりの人だ。大好きだ。

 

まーた長くなっちゃったし色んな気持ちも回っちゃった。これはいつもの如くコンサートの感想というかコンサートで思ったことをつらつらぐるぐる巡らせただけにすぎない。

まあ、いつものことです。

 

出会えて良かったね、嬉しいね。全部が今日もそれに集約する。出会えて良かったって思う度、心にちかちか星がまたたく。それはなすくんがくれたもの。好きが変わって、重なって、どんな思いを載せて、いつか忘れても、永遠じゃなくなっても、ずっと消えないもの。

だから大丈夫。今日も、明日も、大丈夫。また頑張って、頑張って毎日を生きたその先に、祝祭がきっとある。

スーパーキラキラ20歳!


幕が開いて、最初に目が探す。勝手に見つけて、輪郭がそこだけ光って見えて、一挙一動が星を撒いているような気がして、その時、ああこの子が特別なんだってすとんと思った。
これが本物だって湧き上がるように思う。どうしようもない日常のなかの、宝物がたくさんのありがたい人生の中の、素敵なものも嫌なものも溢れている世界の中の、これが私の本物。

宝物のような男の子の宝物のような日々を大事に噛み締めたい。そう思って明くる日も明くる日も、あきれるくらい好きが消えなくてとめどなく大事に想い続けた、なすくんが20歳。
何回も思い浮かべて想像していたのに、やっぱりこんな日がくるなんて凄く不思議な気持ちになる。
大好きなアイドルが今日20歳になる。いや、20歳になった。

なすくんを好きになって、夏にキントレが始まって、ちょうど身体を引き締めたくてしょうもないシャレとして筋トレを始めた。
その時、根っからのインドアである私は筋トレでよく課せられる回数である20回なんて全然できなくて。じゃあなすくんの年齢分やろうって思って、なんとか15回ひいひいやっていた。それならなんとかできたしオタクなんて単純なものなのでなすくんと結びつけて頑張れた。
それから1回ずつ毎年増やして、サボることはあれどゆるゆると継続して、気が付けば本当は20回できるけれどなすくんの年齢分やりたいからここまで、なんて思うようになって、そしてついに20回に到達したわけで。
いやなんの話ですか?って感じだけどあの時20はまだ先!なんて思っていた毎年が、積み重なってあっという間にそこにきたのだ。
人生は地続きなんだと何度生きて何度噛み締めても改めて思う。
良い一歩だとか悪い一歩だとかそんなものはなくて、麦ふみのように一歩一歩、全てをひとしく肥やしにして、なすくんは今もあの金色の舞台に立っている。いや、前よりももっともっと輝かしい光に、立ってる。

なすくんの目が好きだ。綺麗な二重幅。やさしい垂れ目。キラキラとした黒目が、ステージで光るのが好きだった。光を失うところさえ綺麗でびっくりした。なすくんの目はやさしい。それは私がなすくんがやさしいって知ってるからかもしれないけれど、でもやっぱり、あの目を見るたび、画面越し、ステージ越し、雑誌越しに目が合う度に、やさしい目だと思う。星と努力をいっぱいに詰め込んだ、やさしい目。
笑ったり頑張ったりする時にかわいくふくらむなすくんの鼻が好き。横を向く時に、ぞっとするくらい綺麗に思えるなすくんの鼻筋が好き。顎の輪郭が好き。
可愛くて可愛くてたまらない口の形が好き。すぼむ口も唇をまきこんだ口も、話聞く時にぽかんとあく口も笑う動作ももちろん、動きひとつひとつが全部好き。
声も好き。甘くてとろんとした声も、不思議なテンションで繰り出される声も、全部がかわいい。歌声も、こんなに好きになるなんて思わなかったくらい、何度でもびっくりしてしまうくらい、青く澄んで広がっていくから好き。冷たい冬の青空みたいな声。
耳も好き。一生かわいい耳のほくろ。人の話をちゃんと拾って、返してくれるやさしい耳。
手も好き。柔らかくてかわいい指も、手を振る時にくっつく中指と薬指も、全部かわいい手の動き。
踊る時の肩も好き。がっしりとした背中もきゅんときて好き。きゅっと動く足が好き。頭の形が好き。
心の形が、全部好き。
あげだしたらキリがなくて、夢を押し付けちゃいけないと思っても、それでもありあまるほど夢を見てしまうくらい、なすくんの人生の形全部が好きだ。
愛しくて、大切で、憧れで、眩しい。


これが星じゃないなら何が光か分からないくらい私にとって眩しくて、これが希望じゃないなら何が愛か分からないくらい私にとって愛しい、そんななすくんが、夢を振りまいていてくれること。この世界は希望があるし努力は報われるし愛に溢れてるって顔をして、歌って踊ってそこに生きてくれる。光を証明してくれる。それってなんて幸せで、ありがたくって、凄いことなんだろう。だから今日も人生を信じられる。だから私は今日も心の場所が分かるし、だから私は今日も愛をちゃんと知ってる。そんな気持ちになれる、なれてしまう。


大人になることがちょっと寂しくなるくらい、思い出がたくさんあるのが、嬉しい。
なすくんが大人になる世界がちゃんとあることが嬉しくて、なすくんが20年も生きてるこの世界が最高で嬉しい。そこに私も生きていられて嬉しい。今日も元気に重すぎるけど今日に始まったことじゃないし本当に、いつまでも、いつまでも大事でたまらない。


私は今も本気で、なすくんに、この6人に会えたことは人生をがんばって生きてきた先に神様がくれたご褒美なんだと思ってしまうし、そうして世界を愛と光で満たすために美 少年は地球に6人一緒に生まれてきたんだ〜!って本気で思っている。
重いのも気持ち悪いのも分かってるけれど、でもなすくんのこと、私の人生においてなんなんだろうって考えるとそれはやっぱり恋でも趣味でもなくて、魔法や光や宝物って言葉がぴったりで、大好きよりももっともっと大きな言葉を探したくなるくらい大好きな、そんな宝物なのです。


こんなに語ったのにこれからまだ語るんですが私は本当に、さよならが苦手な人間だ。
だから私はなすくんを好きになった時も、この好きがなくなるのが、勝手な落胆で幻滅するのが、過去を無駄な消費のように思い返す日がくるのが嫌で、怖くて、好きになる時にガチガチに準備をした。心の。
今だって本当は、この星のかけらを星に思えなくなって、宝物だった記憶はあっても現状の宝物には思えなくなって、宝箱の隅にある小さなおもちゃのガラスみたいになってしまう日が来るのを、ずっと怯え続けている。


それでも、何度も何度も思って、書いて、馬鹿みたいに同じことを呟き続けたように、やっぱりそれは星だった。出会って、好きになって、勝手に目が探して、足が勝手になすくんへ向かって、ただただ信じてついていって、魔法がかかって、輝き続けた。私が何を思おうとなすくんは輝くので、私が何を悩もうとこの心が勝手になすくんを好きだった。今はもっともっと、なすくんが好き。


忘れたくないな、って思いながらなすくんを見ているし、ブログを書き続けている。
忘れたくないな、好きでいたいな。
でも今、20歳になったなすくんに思うことは、出会えて良かったの一つしかない。それに尽きてしまう。好きも、眩しいも、全部「出会えて良かった」に繋がる。出会えて嬉しい、良かった、良かったなあって、星がまたたくみたいに思い続けてる。好きになれて嬉しい、好きでいられて嬉しい、なすくんが進む道を一緒に見られて嬉しい。ずっとずーっと嬉しい。
だからきっと最後まで、私は出会えて良かったなあって、そう思っていくんだろう。


ほんとに、信じてついてきた、ただそれだけなのだ。眩しい星に見惚れるようにただただついていったら、なすくんはいつのまにかこんなに綺麗なステージの真ん中にいて、私はこんなに綺麗な世界を見せてもらっていた。ありがとうとか、そんな言葉じゃ足りない。ただ、嬉しい。


幸せでいてほしい。成人して、大人になったって言われたって、昨日の自分と今日の自分は地続きで変わらないから、ちょっと不思議な感じがするよね。それでも20ってこの不思議な節目の数字に、世界が開けたような、足元が強くなったような、手のひらがひどくすかすか感じるような、そんな心地になるよね。そんななすくんがこれから生きていく世界が、なすくんがいるステージみたいに光でいっぱいだと良い。夢は全部叶うと良い。辛さも物語のスパイスに感じるような、そんな幸せがたくさん降れば良い。そんな大人の世界であるといい。大人になって良かったって、思い続けられる世界が良い。


大人は決して子どもに戻れないって、何度も聞いたセリフの果てに、やっぱり私は、なすくんが大人になっていく新しい世界が愛しくて嬉しい。10代の、かわいくて、ちょっと固くて、あどけなくて、でも真面目でしっかりしてて、夢をちゃんと詰めた眩しいあの日のなすくんが可愛くて仕方ないけど、でもそれよりもこの先のまだ知らないなすくんにたくさん会いたい。
いつまでかは分からなくても、今の私は、今のなすくんが今まで生きてきた全部のなすくんの中で一番好きで、18歳よりも19歳のなすくんが好きだったみたいに、19歳のなすくんよりも20歳になったなすくんのことがもっともっっと好きで、きっと今日のなすくんよりも次に会うなすくんの方が、もっと大好きに思えるんだろう。
なすくんはそんな人だから。スーパーキラキラアイドルでい続けるなすくんが、それでも果てなくスーパーキラキラアイドルを目指していくのを、私はただ信じてついていくんだろう。ついていくというか、惹かれて歩いていくだけで、足が光へ進んでいくのだ。

 

なすくんを見つけられた世界で良かった。なすくんを知らないで死ぬ私じゃなくて良かった。それだけでなんだか世界に選ばれたような気さえしてしまう。だってだってラッキーすぎる。

 

ずっと幸せで、笑って、元気でいてほしい。

ねえねえ神さま、なすくんってすごく優しくて素敵な男の子なんだよ!こんなにかっこよくて、こんなに光ってるのに、まだ光ろうと走り続けてくれるんだよ。こんなに賢いのに、まだ努力して、学んで、思考を止めずに育てているんだよ。こんなに素敵な人なんだよ!だから絶対絶対幸せにするべきです。何か幸運のはしごのようなものがあって、あなたですって選んでいるのなら、その指で絶対なすくんを指すべきなんだよ!そんなことを大声で見えもしない神さまに勝手に叫びたくなるくらい、なすくんは最高の男の子なのだ。

 

そんななすくんが、20歳。

最高じゃん。うれしすぎるじゃん。良い世界じゃん。

ここ最近どころかここ数年「うわーーーん20歳になる日がきちゃうよーーー( i _ i )」なんてわめいていた私が、ついにやってきた今、そんなことを思っているんだからやっぱりなすくんは凄くて、最高。最高です。一級品。

 

たくさんたくさんおめでとう!いっぱいいっぱいありがとう!きみの歩く道が、スーパーキラキラな毎日でありますように!ここはきっと光の国だよ!世界は愛に溢れてる!だってなすくんが最高だから!

最高な男の子が、20歳になる世界に乾杯したい。

生まれてきてくれて、アイドルとして生きてくれて、ありがとう。お誕生日おめでとう。

 

 

魔法使いは19歳

 

「なんて美しいバイオリン。
まるで神さまが弾いているみたい。
だからわたし、
だからわたしは、神さまを信じます」


好きな本に出てくる詩にそんな言葉があって、私は初めて読んだ時から生活の中で、いつもふとそれを思い出す。
神さまみたいに綺麗なものを見た時に、やっと神さまを信じられる気持ち。

この世はそんなに甘くないって生きれば生きるほど分かってくるので、助けてくれる神さまなんてそう簡単には信じられない。奇跡はたまにしかないから奇跡で、運命だって不確かなもので、私たちは魔法を使えない。
でも、春。涙をキラキラさせながら歌うなすくんを見て、私はおんなじように心から思った。

なんて綺麗な光、なんてあったかい気持ち。
魔法みたい。魔法使いが今この瞬間確かにあの舞台の上にいる。だからきっと、この世界に魔法はある。
だから私は運命を信じているし、魔法を信じようと思った。


まず2021年を思い返そうとした時に魔女宅があることに「え!?今年!?」ってなるしその前にドリボも(12月からではあるけれど)あるので「え!?今年!?」ってなるよね、びっくりだよね。あっという間の一年。
画面越しにきらめきを貰った去年と比べて、今年はなすくんに会えた年だった。もちろん今まで通りでは全くないけれど、それでもなすくんと一緒に過ごす季節が少しずつ戻ってきた。


春。夢の舞台。どきどきしながら新国立劇場の長い階段を登った。
包み込むような優しい音、主語デカオタクなのできっと那須担みんなそうだと勝手に思ってるんですけど、あのイントロ?メインテーマ?の優しい音階を聞くだけで、ああなすくん!って思った。この優しい舞台に、あたたかな空間に、なすくんが立てていることが本当に嬉しい。だってなすくんは優しい。ずっと、ずっと優しくて真っ直ぐな男の子だから、やっぱり私が思う『なすくん』って、あの音だった。
努力して、辛いこともあったからキキの気持ちがわかるって言うトンボくん。一緒にキラキラの瞳で、道筋を探るトンボくん。頑張ってきたから、努力に自信があるから、だから人に「頑張れ」を言える、そんななすくんと重なって涙が出た。

初めての遠征。夢の遠征!ひつまぶしを食べながら、なすくんのためにとったホテルで、ラジオとテレビと、どっちも同時に美 少年が出ていて身体が足りなかった。身体が足りないくらい彼らが羽ばたいていることが感慨深くて、嬉しかった。

なすくんを好きになる前から、個人的に思い出の詰まっているメルパルク。なんだか人生の好きが一周して、戻ってきたような気持ちだった。
私はなすくんを好きになってから新しい感情や世界を見せてもらってばかりで毎日が新鮮なんだけれど、でも、なんだかなすくんを好きになってから、昔の自分を思い出すような、昔捨ててしまった好きや諦めた気持ちや見ないふりをした傷にふと出会うような、改めて救われるような、そんな気持ちになることがあるから不思議だった。


へにゃりと眦の下がったなすくんを、泣きそうなあどけない口元を、涙声を聞きながら、魔法だと思った。とめどない好きが怖いくらいに襲ってきてどうにかなりそうだった。多分あの時、私は日常が辛かったり人生の節目にいて悩んでいたりした今の私だけじゃなくて、何故だか小さい頃の自分にまでまるごと魔法がかかって泣いていた気がする。
そんな舞台で、そんな好きだった。


天才なんかじゃない、選ばれたラッキーな子ってだけじゃない。
死ぬ気の努力と、覚悟を越えて、魔法みたいな顔して立ってくれている、ただの人間の19歳、そうたった19歳の男の子。
きっと嫌なことがあったら普通に悲しいし、転んだらおんなじように赤い血が出るし、理不尽な言葉をかけられたら腹が立つし、イライラしたら何かにあたりたくなる時だってあるし、疲れた時は何もやる気がなくなったり、夜中に将来が見えなくなってちょっと不安になったり、誰かが羨ましくなったり無意識に誰かと比べて安心してしまったり、そんな誰もが当たり前の日常の上におんなじように立ってる、19歳の男の子。
それなのに、いつも舞台の上で、魔法みたいな顔して立ってくれる。人間だけど自分だけの魔法で飛んだトンボくんみたいに、たしかに「魔法のおすそわけ」をしてみせたあの男の子みたいに、星から生まれたようなきらめきで、アイドルとして立ってくれている。
だからやっぱり、なすくんは私にとってれっきとした魔法使いで、私は魔法ってこの世に、そしてきっと自分にも、あるって信じられるのだと思う。
帰りの新幹線、何度も見たはずの車窓の景色と、何度も聞いたはずの到着音。それさえもいつもと違って見えるみたいな、そんな不思議な帰り道だった。


なすくんの涙をそんなにたくさん見たことはないけれど、私が見る時、なすくんは泣きながらでもいつもちゃんと前を見ている。少し顔をそらしたり一瞬俯いたりしながらも、でもちゃんと前を見てそのキラキラな瞳を向けるのだ。ちゃんと、笑うのだ。それがいつも強くて、眩しくて、どうしようもなく愛しくて、そして私にとっての勇気になる。
凄い男の子だと思う、ほんとに。


夏。二度目の!主演ドラマ。宝物の夏がまた増えた。
真っ直ぐで優しくて、鈍感でかわいいヒーロー。自担がヒーローになった夏。自担がヒーローになった夏ってすごくないですか?もうそれだけで、ほんとにもうそれだけで全部が大丈夫になる夏だった。
大好きなサマステ、久しぶりのあの灼熱の屋上。生徒会長にもヒーローにも、アイドルにもなってくれたなすくんが、本当に久しぶりのアイドルのなすくんがそこにいることが嬉しくて、また夏が大好きになった。
happinessの6人を見て、もう本当に一生こうやって笑ってて欲しい!それだけで良い!それがとびきり一番良い!の気持ちでいっぱいになった。
オタクの大好物:一般人の反応、みたいなところあるので、関わったことのなかった戦隊好きの方々の言葉を見るたびに泣きそうなくらい嬉しかった。大好きだから、愛されてほしい。守られてほしい。だから、色んな人が6人を褒めたり、惹かれたり、大事にしてくれたりする度に本当に安心してしまう。
嬉しかった、嬉しかったね。


秋、少年たち。ここ数年定期的に「次なのかな!?」と言われていた少年たちが、ついにきた。つなぎで踊ったあの日のハイ美を思い出して胸がいっぱいになった。
これは少年たちだけじゃないけれど、魔女宅を経てから本当になすくんは声の出し方や歌が変わって、何回見てもびっくりしましたよねほんとにね!?
努力の証。そしてビジュがびっくりするくらい良くて言葉を失って何度も卒倒しかけた。指輪でさらに卒倒したけどそれはまた話がずれるので置いといて…
本当にありがたいことにこのへんになると(まだまだ油断できない状況ではあるものの)現場があることが少し日常になってきて、それが凄く嬉しかった。
こう通して振り返ってみると本当に、今年はちゃんと春夏秋冬、一緒になすくんがいたんだなあ。嬉しい。


ここまできたらもう誰が感染してもおかしくないので、なったらだめだとかならなかったら偉いとか、そういう話ではない。ないのですが、それでもなすくんが今年のお仕事を、ドリボも魔女宅もサマステも少年たちも、感染や情勢によって休止になることなく走り切ったのが本当に嬉しい。本当に嬉しいし、ほんっとうに凄い。
なすくんが元気で良かった、もう本当に、一生これにつきる。


「みんながハッピーになれるよう、最高にキラキラしてくるね!」


この言葉が大好きだった。それって自分が輝くことが誰かを救っている、自分のきらめきで誰かを救えるって自覚しているってことで、それが嬉しくて、それが最高でたまらなかった。心の底からアイドル。
こう思って、あのステージに飛び出して行ってくれる限り、私はずっと、ずっとハッピーだ。


だから今年も最高だったし、来年も絶対に最高なんです。
2021年、自分なりに環境が変わった私の世界に、病院に通いまくった私の世界に、神さまがいたか私は知らない。来年の私に、どんなことがあるかもやっぱり知らない。
魔法なんてない、自分のこんなちっぽけな道で何を見つけられると言うんだろう、そんなことばかり思うことも、正直あったしこれからも多分ある。
それでも。思い返せば、なすくんが笑っている。


こんなにこんなに好きでもやっぱりどうしたって私となすくんは他人なので、仕事をして周りの人間と関わって自分の人生を生きる私の全部を、なすくんが救うことはきっとない。それは当たり前のことで、なすくんは私の人生を左右する神さまじゃないし、私の全てを変えてくれるわけじゃない、全部に魔法はかけられない、私と関係のないところで光って、生きて、それでも、きらめきのかけらをくれる。

まさに魔法の、『おすそわけ』をしてくれる。
そのかけらがあんまりにも綺麗だから、魔法みたいに眩しく光ってみせるから、大切でたまらないと思えてしまうから、やっぱり私は魔法使いを信じている。
まだ見つかりきらない私の魔法を、魔法が存在する世界を、頑張りが報われる世界を、光がまっすぐ正しいものとして扱われる世界を、信じることができる。


現場の帰り道、なすくんを好きだなと思う時、胸の真ん中がぎゅっとなって、星が落ちてきたみたいにちかちかしてて、多分そこが心の場所なんだなあといつも思う。
その時、たしかにそこになすくんがいる。
辛い時も、へこたれる時も、ふと心の大事なその部屋からなすくんが顔を出して、あの時くれた魔法を思い出させてくれる。そうして私の人生は続く。
私も、自分を信じる力だけは誰にも負けないって言えるようになりたい。そうやって光るなすくんを、大好きになった私だから、そうやって生きるなすくんから、魔法を信じた私だから。


来年も好きでいたいな、とか来年も会いたいな、とかたくさん思うけれど、とにかく来年も元気でいてほしい。笑って、楽しく生きていてほしい。
今年最後の日もたくさんなすくんが好きで、明日もきっとなすくんが好きなので、来年もきっとなすくんが大好きで、今とは違う、新しい景色をたくさん知った私になれるんだろう。


楽しみだな、嬉しいな。何が凄いって今夜も明朝も明日だってもうなすくんの仕事があるのだ。凄い。凄すぎる。
そんな世界や何よりもなすくんに感謝しながら、来年も大切に大切にしていたいなと思う。


今年もいっぱいありがとう。元気でいてくれて、光ってくれて、ありがとう!
またね!

 


というか20歳になるのやば……
2022年、なすゆうとくん20歳、やば……