井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

またね幻

 

なすくんの18歳の誕生日に月を買った。好きなキャラクターの誕生日にそれをしている人がいて、なんだか素敵だなあと思ったので軽率に真似して、なんとなく月を買った。

コンサートの行き帰りの道が、凄く好きだ。コンサートって開演してるその瞬間だけじゃなくて、移動の時のあの気持ち、聞いていた音楽、ぼんやり見つめた車窓の景色、全部が思い出に残って記憶になって、大切になる、その感じが好き。六本木や日比谷を歩く時はもちろんだし、久しぶりにゆりかもめに乗るといつも胸がキュンとしてしまう。

だから、これからは月を見上げるたびに、18歳になる時の、なすくんが大好きだった気持ちを思い出したかった。ほんのほんのひとかけら、本当は肉眼じゃ見えないくらい小さくても、でも確かにあそこに、あの月に私の「好き」があるのだと思うと、なんだか頑張れる気がした。全部大丈夫な気がした。そう思いたかったから、月の権利が書いた簡単な一枚の紙をぽちりぽちりとスマホで簡単に買った。

これからは現場の帰り道、どんどん大きくなるなすくんを見て胸をいっぱいにしながら、月を見て帰ろう。そんなことを思ってわくわくしていた。

 

はずなんだけど。

まさか思い描いていたクリエ終わりの帰り道も、夏の六本木の帰り道も、歩けなくなってしまうとは思ってなかった。月を買った時の私が思い描いていたのとは大幅に変わった未来がきていた。

早々に仕事が在宅になって、出掛けても朝にウォーキングか昼に買い物くらいになってしまったので、月さえあんまり見ていない。

 

悲しい。くやしい。さみしい。たった一度のなすくんの最初の大学生の春。大好きなアイドルの姿が見られないことはもちろん、凄く尊くて愛おしい学業の面でも通常通りの春では無くなってしまったことが、やっぱり勝手に胸を締め付けられてしまう。4月なんて元々現場のなかった期間なのに、クリエがないと思うと何故か必要以上に寂しく感じてしまった。会いたいなあと思う。何してるのかなあ、とか大丈夫かなあ、なんて思いを馳せてしまう。

もちろん、それでも懸命に発信をしてくれる姿に心が絞られずにはいられない。もう、island TVもつべもブログも無かった世界、思い出せないし生きられないよね。ありがてえありがてえ。嬉しくて、愛おしくて、でも本来ならプライベートであるおうちでの時間までも切り取って提供してくれるその姿を見るとなんだか胸が苦しくもなって、ありがたいけど心配で、もうなんかぜーんぶ勝手なんだけど本当に好きすぎて大切過ぎてあらゆる感情がぶわぶわとぐるぐると回ってしまう。

 

お察しの通りの女なのでなすくんに毎日思いを馳せてるんですが、それでも何故か、なんでだろうねえ。こんなに更新してくれて、まあいわゆる生存確認的なものが全然できていて、むしろ多分本来の4.5月よりも色んな供給を貰ってるかもしれなくても、何故だか「なすくん何してるのかなあ」と何度も思う。会いたいなあって思ってしまう。物凄く思いを馳せてしまう。

多分私は(別に現場以外は価値がない!とかそういう話ではまっったくなくて)ステージの上でキラキラと笑うなすくんを見て、溺れるように眩しく見上げて、祈るように愛しんで、それで「ああなすくんってここにいるんだ」って思って生きているのだと思う。ステージの上で笑ってるなすくんが私にとっての答えで、ぜんぶで、ステージを見上げる時のあの湧き上がる気持ちが私の中の本物で。私の好きはやっぱりあのステージの上にある。星の海で笑うなすくんを見て、熱い心臓にのぼせたように呆けて夜道を歩いて、次の日目覚めてもまだ胸のあたりにジンと残る気持ちの余韻はまるで星のかけらみたいで。それを抱えてまた歩いて。そうやって生きている。

もちろんそれだけじゃなくて、動画に、写真に、何より言葉に、いつもたくさん救われて力を貰っているけれど。でもそれも、そんな言葉をくれたなすくんが、動画やテレビや雑誌でのエピソードを積み重ねたなすくんが、キラキラのステージの上にいるのをペンライト握りしめて見つめる瞬間に全部集結するというか、それでこそ完結するというか、わーん言葉にするの難しい!

まあ簡単にいえば早く会いたい。愛は笑えるほど冷めずにびっくりするほど上限を超えてとめどなく溢れてくるけれど、やっぱり胸の中のキラキラが弾ける瞬間を一番くれるのは、自分の足でドキドキしながら会場に向かって、自分の肺で熱気を吸い込んで、自分の目で星を見上げるあの時間なのだ。ほんとは一瞬だって、ひとかけらだって、見落としたくなんてない。

 

次に会ったときになすくんを見たら、問答無用で泣いてしまうと思う。そう思うのだけれど、最近はそれを通り越して次になすくんを見た時に、知らない人みたいに感じたらどうしようと思うと怖くて仕方がない。いや、別になすくんがアイドルになった瞬間から全通してましたとかそういうわけじゃないし、そもそも私が今知った気になってるなすくんだって結局「私にとってのなすくん」にしか過ぎなくて、夢想に近いものなんだろうけど。ほんとはずっと「知らない人」なんだけど。それでも私なりに、私の気持ちで見つめてきたなすくんがいて、積み重ねた時間が、思い出があって、(正解はさておき)緊張してるなあ、とか楽しそうだなあとかここ柔らかくなったなあとか感じることができる。

 

最近突然別の界隈で数年ぶりに推しと呼びたい人ができて(自粛期間ってすごい)、でもその人のこと、まだ全然知らないので映像を見ても疲れてるのかただの真顔なのか、本心の笑みなのか苦笑なのか全然わからなくて、「あー!なすくんだったら確信を持ってすぐ分かるのに!」と思わず叫んだ。私服での稽古場映像がわちゃわちゃしすぎて推し(仮)が全くみつからず「あー!なすくんだったら秒で見つけられるのにな!!」とも思った。

その時に気付いた。いつの間にか当たり前すぎて忘れていたくらい、気が付けばなすくんのことをたくさん知ってる。「なすくんだったら分かる」がたくさんある。

いやまあ、なすくんのこと、何度も言うように本当は何も知らないんだろうけど(これ、もうこのブログの文の全ての語尾につけてください)

でも、なんとなく分かることがたくさんあるのだ。好きな色も、好きな音楽も、好きそうな映画も「今の先輩の言葉、嬉しかっただろうな」も分かる。まだまだ長くはなくても、そうやって私の中にはなすくんの存在が当たり前に溶けている。それがいつも凄く嬉しくて、愛おしい。

だから、だから。次に見上げた時、双眼鏡を構えた時「あれ?」って思うのが勝手に怖い。分からなかったら、怖い。

 

去年の春と去年の夏のなすくんは違う。だから、きっと私が見た1月のなすくんと、この春のなすくんもほんとは違った。夏のなすくんも、きっと違う。次にやっとこの目で見られるなすくんは、また新しいなすくん。それはとても尊くて眩しくて素晴らしくて嬉しいことでもあるけれど、それを追って見守っていくことと、突然見落としてしまったような気持ちになるのは大きく違う。

去年の夏、ねぇもっとを踊るなすくんの表情を見て「いつの間にこんな表情で踊るようになったの?」と思った。その時だってもちろんちょっとだけ切なくて、でも、なんとなく裏側が、過程が見えてる分、すごく尊くて愛しくなった。

でも、その時と、この次に間を開けて見たなすくんへの「いつの間に」は私にとっては違うのだ。いつの間に大きくなって、いつの間に違う顔で笑って、いつの間に新しいところが増えて。知らない間のそれが怖くて、何より、さみしい。

 

なすくんの、積み重ねてきた努力が、人生が繋がっていく様が好きだ。そんな一瞬だって見逃したくないくらい大切な大切な子の、大切な時間を見つめられないことがさみしい。さみしくて、苦しい。会えない時間だけじゃなくて、この空白のあとに会えた時のことまで考えて怖くなってるの、我ながら物凄く弱くて馬鹿だとは思う。なんて勝手な苦しさなんだろうね。私は生まれた時からずっと弱い。弱いから、自分の「好き」だけが私の抱える強さで、武器で、宝物で、だからこそ、色んなことを恐れてしまう。矛盾〜〜

 

でも、だから、だからこそ今はなすくんが教えてくれる姿を、大切に大切に見つめていたいなあとただただ思っている。たった一度の2020年の春、なすくんは立ち止まっても、阻まれても、失ってもいなくて、たしかに今ここにいる。面白いくらい可愛く、おうち時間の概念が揺らぐほど格好良く、こちらに寄り添おうとしてくれる優しい18歳のなすくんはここにいる。ちゃんとここにいる。それを忘れないようにしたいなあと思う。

見つめていたい。大切にしていたい。本当に、本当に、いつまでも私はこの子のことが可愛くて、大事で大事で仕方がないから。こんな勝手な怖さを、不安を抱いてしまうくらい莫大な好きが、まだ全然消えない星みたいにチカチカ心に灯って私の中にある。そのことを、大切にしてたいなあ。

 

なんて吐き出しながら窓を開けたら細い細い月がそれでも確かにちゃんと夜空にあってなんか泣けた。あそこに私の好きがある。だから大丈夫。大丈夫。

早くコンサートの帰り道を歩きたいな。って既に帰り道のことに思いを馳せてる自分もなんか笑える。

 

なすくん、なすくん、元気でいてね。もうほんと突き詰めると願いはそれだけで、こんなに長く書き連ねたことも結局私が勝手に抱いてやがて勝手に解消するものにすぎなくて、とにかく笑って、元気で、楽しく過ごしてほしい。そればっかり。結局これに尽きる。

今日もなすくんが笑ってるといいなあ。

酸っぱいドレッシングをぐるぐる混ぜながらそんなことばかり考えて、そうして季節がいつの間にか変わって、クリエで着るはずだった長袖のワンピースを飛び越えて、「まだ早いけどこれは夏に着て行こう」って衝動買いしていた半袖のワンピースを着て過ごしている。行き場がなくてもワンピースはかわいい。でもやっぱりちょっと苦しい。