井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

好きの星

 

この瞬間を見るために好きでいたのかもしれない。好きを抱えた毎日は、この瞬間のためにあったのかもしれない。

 

大好きな、大好きな大好きなコズメロのイントロが流れて、光が弾けた瞬間、そんなことを思ってしまった。それくらい、眩しかった。

ずっとアリーナを夢見ていて、きっとその日に感慨深さで泣いてしまうことなんて何度も想像していた。何度も、何度も考えていた。それなのに思っていた何倍も、本当に何倍も彼らは眩しくて、圧倒的な光だった。

 

ああ、こんな瞬間、こんな日を迎えるためにここまで生きてきたのかもしれない。

これからきっとこれ以上の幸福があるはずなのに、そんなことを思ってしまったのだ。

祝祭だ、と思った。

奇跡のような瞬間に思えるけれど、毎日は地続きで、毎日生きてきた積み重ねの先にこの日がある。頑張った私へのご褒美みたいだった。そしてきっと多分彼らにとっても、頑張った毎日のご褒美だった。そんなことを思えてしまうくらい、嬉しそうな楽しそうな顔を彼らがしてくれるから、それがまた本当にたまらなく嬉しくて愛しかった。

 

好きになった時からずっとずっと眩しいのに、眩しくなかったことなんてないのに、ここ最近の美 少年は本当に光り方のレベルが違う。

初めてのアリーナコンサートは、びっくりするくらい新しい眩しさや格好良さを感じながら、なんだか昔をたくさん思い出しもして、なおさら胸がいっぱいになるような、そんなコンサートだった。

 

ステージを駆ける彼らの眩しさにびっくりした。なんかこうどうしても偉そうな言い方にしかならなくて自分の語彙力が歯痒いのですがアリーナが全然「足りていた」。多分あの子たちのやりたいことってもっと広い会場の方がさらに輝くのかなあと近年勝手に思っていたけれど、まさにその通りで、画面から移動から演出、6人だけでちゃんとあますことなく繋いで、会場を満たしていた。上手くなった歌。揃いすぎて驚くくらいのダンス。ラップも、アクロバットも、新しい演出も変わらない可愛さも全部が新鮮に眩しかった。君のために僕がいるを歌って踊る姿が、歌詞も含めて美 少年の良さの全てを表しているようで愛しかった。

狭い柵をてくてく歩いてたくさん愛を振りまいてくれていた彼らが、広い会場を駆け抜けて、せりあがったり吊り下がったりするステージや、トロッコにも乗って愛を届けに行く。手でぱーんぱーんなんて可愛く紙吹雪を出す真似をしていた彼らに、キラキラしたテープが溢れるくらい発射される。嬉しい嬉しい、新しい景色。

それと同じくらい、好きになってからのたくさんの思い出が重なる。可愛くてキラキラしていたハニビのクリエ、スパルタ指導の湾岸。あの日、初めてオリジナル曲をもらった冬の帰り道。頑張ってみんなで予想して引き当てた実演で見たパーリーモンスター。TDCのウェザーニュース。暑いサマステのSHAKEや真剣サン。台詞メドレー、Mステのあの日。嵐さんの後ろで楽しそうに踊っていたあの日。帝劇で観た、横アリで観た、東京ドームの数曲の出番で観た、あの日。頭の中に、忘れられないたくさんのなすくんが、6人がいた。そして目の前に、大きくなって、それ以上に眩しくなった彼らがいた。走馬灯のような、夢のような景色にくらくらした。

 

「ねえ、嬉しいね、眩しいね」

初日、隣の女の子たちがそうぽつりとつぶやいた時、前にいた女性が涙を拭う仕草をしていた時、きっと思い出や景色はそれぞれ違くても、おんなじような好きの中に私はいる、そう思った。

綺麗な、綺麗な星の海。他の会場ももちろん綺麗だけれど、やっぱりアリーナくらいになると、私は強くそれを思う。

たとえば私が、真っ暗な部屋の中で一人ペンライトを持っていたって、それは本当にただライトを持つ私に過ぎない。あんまりにもちっぽけで小さな光。

それが、好きがたくさん集まって、あの場所でだけ、あんなにも宇宙みたいな光になるのだ。それ全部が、好きの結晶だった。

私は自分の光が分からない。ただ、祈るように信じるように青いペンライトを持っている、いつも。けれど、私から見た会場は、向こう側は、物凄く綺麗な光の海で。なすくんはそれを眩しそうに眺めていて。だから、多分私も向こう側から、ステージから、そんな遠くの誰かから見たら多分、こんなに綺麗に光っているのだ。私の好きは、こんなに綺麗に光って燃えてる。天の川の銀河のように、私は星の海になってる。それがすごく不思議で、すごく嬉しかった。

うれしくて、まぶしい。

 

そして、胸がいっぱいのあと、溢れるばかりの幸福と、思い出が回る小さなさみしさ、いろんな気持ちがゆらゆらと揺れていた。

また勝手に主語を大きくしてしまうけれど、みんな多分、おんなじような感慨にいた。眩しさに、愛しさに、感動していた。みんな彼らが好きだった。

それと同じくらい、色んな好きが揺れていた。

人の数だけの、「好き」の形。

 

会場で聞こえる声。

うれしい。胸がいっぱい。感動しちゃうね。懐かしいね。寂しい。チケットどんどん取れなくなっちゃうね。またドラマやりたい。これ以上人気出なくて良いのに。もうEXは嫌だよね。サマステ卒業しないで欲しいなあ。大人になったよね。本当に赤ちゃんみたい。格好良すぎてやばい。まだまだ可愛い。もっと可愛いままでいて欲しい。全然こっち見てくれない!湾岸が恋しい。早くデビューしてほしい。大きくなって欲しいねえ。もうやだ、あの頃に戻りたい。

 

「出会えて毎日幸せだよ、ありがとう」って団扇を静かに持っている人がいた。ファンサを求めて、必死に呼んで怒ってる人がいた。可愛いポーズを頼む人、「抱いて」だなんて大人の文字を見せる人。

これ、全部、「好き」なのだ。どれが正しいとか良いとかじゃない。それぞれみんな、みんな彼らが好きなのだ。

 

こんなのは当たり前というか、そもそも普通にアリーナだとか関係なく前からそうだった。それでも、この広い会場になって、私自身色んな気持ちを抱えて、改めて物凄く実感してしまったのです。

こんなに色んな好きがある。私を含めてこんなに色んな感情の向け方で、温度で、「好き」が存在してる。そんな、ある意味自分勝手なそれぞれの好きが、理想が、全部ぜんぶ彼らに、なすくんに向いている。

こんなにたくさんの好きが一心に向く世界に、なすくんは生きているのだ。こんなたくさんの勝手な好きの上に、なすくんは立っている。あのステージの上で、それぞれのファンの感情を一心に浴びて、それでも眩しく輝いてくれている。

凄いな、と思った。これは凄いことだ。物凄いこと。きっとこのたくさんの好きを、全部叶えることはできない。だってなすくんは一人しかいないから。それでも少しでも掻き集めようと、こっちを見てくれる、ついてきてねって手を伸ばして、今回会えない人もまた会えるよって言葉をかけて、たくさん話し合いを練習をして、アイドルとして立ってくれている。

今までも、これからも。

 

光っていてほしいな。

ただそれだけを祈るようになすくんを見つめた。

光って、光って、光り続けて、どこまでもいけば、その数だけどんどん好きは膨らんで、求められて、落胆されたり寂しくされたり幸せにさせたりして、それがなすくんを悩ませることもあるのかもしれない。それでも、なすくんが目指す巨大な星は、そんな感情さえ全部凌駕してきっと輝く。輝くから、気にしなくて良いから、ただただ光っていてほしい。ちゃんとみんな、みんな、なすくんがだいすきだから。

光って、光って、どこまでもいってほしい。

私だって勝手な理想と好きと願望を抱える人間に過ぎないのに、私が願わなくてもなすくんは幸せになるし守れることなんて何もないのに、そんなことばかりを思っていた。

そうしてなすくんは無数の好きの上に立って、私たちはそれぞれの勝手な幸福や苦しさを抱えて、それでも同じようにペンライトを光らせて、星の海はすすむ。

 

 

2017年、帝国劇場の真ん中に立って、なすくんが自分の話を喋り始めた時。私は彼の身体があんまりにも細くて、ステージは広くて、たった一人で喋る声は真っ直ぐだったけれどやっぱりあんまりにもあどけないというか15才で、スポットライトは刺さるようで、胸がばくばくしたのを覚えている。

それから、5年間。初日や最終日に挨拶をしたり、りゅうがくんや私たちにお手紙を読んでくれたり、なすくんはどんどん大きく、眩しく、柔らかい声で語りかけてくれた。ブログでたくさん、たくさんの言葉をくれて。口調がゆるむ度、近付いたようなそんな気持ちにもさせてくれた。

 

そして、スプパラのあの時、ステージの上からこちらに話しかけるなすくんは、今までで一番、一番優しかった。なすくんはスピーチだって言ったけれど(そんなところもなすくんらしくて好きすぎる)私にとってはお話しで、お手紙だった。優しい、本当に溶けてしまうくらい優しい目でこっちを見ていた。広い会場を見渡すその目と、私の目が合うわけじゃない。それでも、確かにこっちを、みんなをちゃんと見つめてるって、そう思える瞳をしていた。

もうなんにも勝手な心配なんて、ばくばくとした勝手な胸の苦しさなんて、なかった。こんなに広い会場の全部を、まるっと包んでしまうくらいの眩しくて、しっかりとした、どうしようもなく強い頼りになる星だった。優しい声だった。

 

大丈夫だよ。また会おうね。

 

会場の空気がふわっととろけて、柔らかなもので満たされる。目には見えないけれど、確かにそこにある空気のゆらぎ。

温度や形は違えど、なすくんを好きになった時、横浜アリーナで破壊的なフレッシュさを携えた彼らが会場を揺らした時、誰もが「新しい何かが始まる!何かすごいものがきた!」って思ったあの時も、おんなじように空気が震えていた。大人になってあれ以上の感慨でびゃくやを披露してくれた時ももちろんだけれど、その時よりも私は、なすくんが挨拶をして、会場の空気が緩んだその瞬間一番、好きになった日を思い出した。

 

コンサートの前にプラネタリウムに行って、たまたま「星がまたたいて見えるのは何故だか知っていますか?」という解説を聞いた。あれは星の光と、それを見る私たちの間の空気のゆらぎらしい。空気が、大気が、星を揺らしてみせて、またたかせる。なすくんは、空気を揺らせる男の子だ。私はそれを体感として知ってる。ずっと、ずっと、変わらないなすくんの凄いところ。目には見えないけれど確かにそこにある空気のふるえを、ちゃんと伝えて動かせる人。人の心を揺さぶれる人。

だからなすくんは眩しい。ずっとずっと、瞬いている。

 

新幹線の帰り道、車窓を眺めながら。寝る前に目を閉じながら。次の日仕事に向かう朝の道で。おまじないのように唱えてみる。

「大丈夫だよ、また会おうね。」

胸の奥の方からじんわりとあたたかくなる。火が灯るように、心の根っこの位置を知る。そうしてきっと、これからも何度も、私は心を取り戻せる。そんな、魔法のおすそわけ。

 

私にとってのアイドルの定義は、毎日を頑張れる光をくれることなんだと思う。コンサートに行く時だけじゃない、雑誌を読んでいる時じゃない、何気ない毎日にも、力をくれる。だから私は好きになった時からなすくんのことをスーパーキラキラアイドルだと思っているし、今もそう思っている。どんどん強く、そう思う。

 

長くなってしまうから「彼ら」にまとめてしまってあんまり話せなかったけれど、私はこのコンサートで、ますます6人が、美 少年のことが大好きになった。私の星はなすくんだけど、美 少年は私の宝物だから、6人を溢れるくらい愛せること、みんなを素敵、大好き、と止まらないくらい思えること、すごく嬉しくて幸せなことだった。

この6人じゃなきゃ嫌だ、そう思う。この6人で良かったって、本当に、思う。この6人が好きなのだ。この6人だから、大好きになれたんだ。

愛しすぎてどうしても「もっと綺麗な景色を見せてあげるね!連れて行くね!」って言いたくなるしもちろんその力が私たちにも必要だけど、

でもあんなにあどけなくて可愛くてたまらなかった守りたい6人に対して、今は本気で「もっと綺麗な景色を見せてね、信じてついていくからね」と心から信頼して思う。それくらい強く眩しい星に、彼らはなっていた。

もちろん、今も可愛くてたまらないですが!

 

ねえねえなすくん、アイドルを選んでくれてありがとう。このたくさんの世界の中で、ちゃんと夢をここに見つけてくれてありがとう。光ってくれて、ありがとう。

なすくんがいつも言葉をくれたように、消えかけた心を灯してくれるように、なすくんが辛い時は、頑張るのが辛くて心が消えそうな時は、青いペンライトを思い出してくれたら嬉しい。ネモフィラみたいで、綺麗だったね。ネモフィラ花言葉は「どこでも成功」だよ、なすくんにぴったりだね。(あと「可憐」もぴったりですね)

みんなみんな、なすくんが好きだよ。だからなすくんも、大丈夫だよ。大丈夫。また会おうね。

 

そんなことを、思う。文にすると、いや文にしなくても本当に偉そうな言葉。それでもこれが私の「好き」で、そんな好きを光らせて、私はなすくんについていく。なすくんの夢に勝手に夢を見ている。

 

私は綺麗な思いじゃないと、綺麗な愛じゃないと、綺麗に光れないような光ってはいけないような気がずっと、ずっとしていた。

でも今は好きには色んな好きがあって、どれも全部正しくて、どんなに刺々しく見えても好きは変わらないし、逆にどんなに清らかに見えてもエゴなことに変わりはない。そう思っている。そして全部、ちゃんと光る。

光らせてくれるのだ、だって彼らがアイドルだから。私たちはペンライトに好きを託すから。

なすくんが、スーパーキラキラアイドルだから。

それってすごい、ほんとにすごい。何回ベリーグッド賞あげたって足りない。とびきりの人だ。大好きだ。

 

まーた長くなっちゃったし色んな気持ちも回っちゃった。これはいつもの如くコンサートの感想というかコンサートで思ったことをつらつらぐるぐる巡らせただけにすぎない。

まあ、いつものことです。

 

出会えて良かったね、嬉しいね。全部が今日もそれに集約する。出会えて良かったって思う度、心にちかちか星がまたたく。それはなすくんがくれたもの。好きが変わって、重なって、どんな思いを載せて、いつか忘れても、永遠じゃなくなっても、ずっと消えないもの。

だから大丈夫。今日も、明日も、大丈夫。また頑張って、頑張って毎日を生きたその先に、祝祭がきっとある。