井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

仕事となすくんと私

 

仕事、やめた。仕事、やめたよ〜〜!!!!

いやなんかもう言葉にするとめちゃくちゃ簡単なことでありふれたことで「そうなんだ〜」のひとかけらでしかないんですが私にとってはとてつもなく大きな一歩だった。

別にブラックかと言われるとそこまでではなかったと思う。こんな基準、もうその人の心のキャパとか価値観によるんだけれど。人には割と恵まれたし、休みも取れたし、定時も早かった。

それでも、二年もすると「違う」と思った。なんか、なんか、なんかが違う。何かが不安で、何かがしんどくて、息がしづらい。じわじわと足元から浸水していくみたいに、少しずつ苦しくなった。

私は典型的弱い日本人代表のような女なので、ノーと言うのが苦手だ。部活もサークルもバイトも習い事も、増やしはすれど辞めることができなくて、いつも卒業というキリの良いタイミングまでやりきっていて、まあこれって長所にもなるんだろうけど、ただ辞めますって言うのが気まずかっただけだ。

だから、仕事に対しても辞めるって言うのが億劫で、なんかほんと最低だけど明日行ったら職場が燃えてないかなとか台風で飛んでってないかなとかそんなことばかり毎日考えていた。

毎日辛かったわけじゃない。物凄い労働環境でも、いじめられたわけでも、ない。だからこそ「なんとなくまだいけるかな」と誤魔化し誤魔化し、過ごしてきた。

 

仕事をしてきた思い出のそばに、いつもいつもなすくんがいる。私しか知らない、ちっぽけな、本当にちっぽけな毎日。

先輩にまだ趣味の話なんてできなかった頃、にこにこと笑みを張り付けて、電車で別れた瞬間ホームで急いでゴゴスマをチェックする時間が好きだった。あどけなくて可愛いなすくん。

朝職場を掃除しながら、たった数秒の一フレーズだけを頭の中で何度も何度も再生して、あんまりまだ知らなかった歌声を夢想して補完した。

窮屈なその場所を飛び出して、電車に駆け込んで六本木に向かう幸福感。上司によく分からない小言を言われる度に「でもこの人はなすくんのこと知らないんだよな」と思って謎の優越感を得て心を守った。給湯室で初めてほろほろ泣いた時、冷蔵庫に那須牛乳が入っていて、本当に馬鹿だけれどそれだけで救われた。なすくんの個人仕事を知った朝、キラキラして見えた朝焼けの車窓。ぽきりと折れそうなタイミングで更新されるブログ。頑張ろうねの言葉。格好良い私でいたい!って、背筋を伸ばす魔法のおすそわけ。

私は365日なすくんのことばかり考えていて、それと同時に常に仕事のことを考えていた。私の世界は仕事となすくん、あと少しの大切なもので精一杯。そういう状態だった。休みの日もいつも仕事が頭の中にあって、だから自然と会話に出てしまって、友達から「仕事、本当に好きなんだね」と何度も言われた。違った。嫌いじゃなかったけど好きなわけでもない、ただ心を占めすぎてどんな時も追い出し方が分からなかった。文にすると笑えてくる。

 

で、まあなんだかんだとなすくんに救われながら、頑張りたいよ〜格好良くありたいよ〜頑張る私が好きだよ〜って思えながら生きてきたんですが。

なすくんが大学生になって、予想もしなかった世界情勢の中、それでもあんなにあどけなかったなすくんがこんなに凛々しくて宇宙一かっこいい人になって、その時「あっここだ」ってすとんと思った。

じわじわ足元から浸水した水がその瞬間溢れて、人生ではじめての「辞めます」をかました。言ってみればあっけないことで、でも帰り道ずっと足が震えていた。

なんでもなすくんに結びつける病気なので、まだ先でも良かったけど「真夏の少年が終わる前に私もちゃんと伝えきりたい!」って気持ちで上司に伝えたら、そのあと会社とか周りに色々あってここを逃したらもうあと二年くらいは辞め辛いって状況になったので本当に神様がくれたようなタイミングで、それすら全部「なすくんのおかげ」に守られているような気持ちになった。

やめて良いんだ、って思えた。良いも悪いも自分で決めるものなんですけどね。

 

初めての転職活動、こんなご時世だけれど、まあほんとにとにかく楽しかったんです。

変なアドレナリンが出てたんだね多分ね。新しいどこかに行けること、新しいどこかに行くための決断を自分ができたこと、羽が生えたみたいで嬉しかった。本当に、本当に久しぶりに仕事している夢を見ずに眠った。生まれ変われる気がするくらい。

でもまあご時世的、ちょっと不安もあった。けれどなすくんの舞台が決まって、初めての、初めての!遠征が決まって。

「もし仕事決まらなくてもそしたら全通できるやん!」って思った途端に物凄く気楽になった。むしろなすくんの舞台平日分を潰してでも行きたいって思える仕事じゃなかったら入社しなくていいわ、とかめちゃくちゃ強気な優先順位ができた。これがもう既に魔法だった。そのおかげで焦ってもうここにしよう!って決めることなく、自分なりにゆっくりと仕事を探せた。基本気楽に生きてるけど根は死ぬほど臆病なので、なすくんがいなかったらそれさえできずにいたと思う。

 

魔女宅のことは話がずれて一万以上書き連ねちゃうので置いておくとして、でも、本当に、本当に、心の全部に染み渡って。愛しくて愛しくて眩しくて仕方なくって。

辞められた嬉しさ、逃げちゃったような苦しさ、新しいことを始める高揚感、不安、全部ひっくるめた私のこんなちっぽけな人生の中にも、魔法はあるのかもしれないなってぽつりと思った。この人は一生魔法使いかもしれない。なんてことを本気で思った。

 

と、まあこんな感じで私は今やっとすとんと一旦着地をしている。もう毎日仕事の夢を見ないし、休みの日は仕事のことを考えないし、毎朝お腹痛くならないし上司に怒鳴られることも先輩から冗談めかして頬をつねられたり腕を叩かれたりすることもなく(字面にするとやばいけどまあスキンシップだよ)給湯室で泣きじゃくることも夜ベッドの中で謎の涙がつたうことも今のところ、ない。

優しい先輩。そこそこ楽しい仕事。充実した夕方、気楽な心。呼吸のしやすい職場。

 

でも今日のブログの本題はここからです。えっ前置き長!!!!!!

本当はこれで締めて、仕事頑張れたのはなすくんのおかげだよありがとうー!!みんなも行きたい場所にどんどん行こうね仕事、無理しないでね!!のブログを書く予定だったんですが人生はそうもいかない。

 

突然話変わるけれど私、エナドリがめちゃめちゃ苦手なんです。体質的に。味は好き、ピンモンにストローとか刺したい。なすくんみたいにレッドブル飲んでよっしゃ!ってなりたい。

でもいつもなんだかだめで、飲んで元気になっても翌日以降なんだかだるくなる。そんな時友達から「あれは元気の前借りなんだよ」って話を聞いた。

その時はとっても元気になっても、それは元気を生み出しているわけじゃなくて、未来の分の元気を前借りしている状態で。あっこれただの自論だし商品批判ではまっったくなくて完全に体質によるのでただ私にとっての話なんですけど、つまりいつも飲んだ瞬間は元気になるけれどその前借りが凄すぎて、私はその後に元気が枯渇していつもがくりときていたのだ。

その話、とっても納得したのを覚えている。

そしてそんな数年前の話を、今の私は痛感した。

 

そう。そうです。今ね、めちゃくちゃ、めっっちゃくちゃね、

絶不調…てワケ……

ズコーーだよほんと

 

私はこの数年間、多分変なアドレナリンを出して全て前借りをしていたんだと思う。

泣いたり泣いたり泣いたりお腹壊したりしながらも、でも元々が虚弱の割には私はいつも元気だった。むしろ「仕事始めてから本当にイキイキしてるね!」「身体強くなったよね」と周りに言われるようになった。私もそう思って、凄く嬉しかった。初めて会った人からは「丈夫だね、タフだね」と言われる。熱が出ても土日か年末、月曜には大抵すこんと治ってにこにこ仕事ができる、お腹が痛くても頭が怠くても夢中で仕事をしていればいつの間にか治っていて、それは本当に自分の感覚をもってしても無理してるというよりは完全に「仕事で元気になってる」と思える状態だった。

転職して数週間、のびのびと過ごして、それから少し体調を崩した。やっぱ慣れない場で無自覚に緊張してるんだな〜って笑い飛ばした。そしてまた数週間、慢性的な体調不良が次々ときた。そこで初めて、あれっ?ってなって、混乱した。えっだって、今?今なの?仕事してる時でも、不安定な転職活動でもなく、今?私前に比べてめちゃくちゃ穏やかでめちゃくちゃストレスなくて時間も余暇もある暮らししてるんですけど!?って強がりでもなく本気で心の底から、そう思っていた。いや本当に、心の底から、今別にストレスがないのだ。基本ドライなお気楽人間なこともあってまじで悩みが見つからない。顎のニキビくらい。

気圧かな〜季節の変わり目かな〜と誤魔化しつつもそれにしては長期的に自律神経も体調もがくんとやられて、そこでああ、前借りだったんだ、と思った。分からないけど、多分。

頑張って、頑張ることが好きで、頑張り続けて、多分そのツケが今全部きている。人って辛いことが終わって幸せになった瞬間に何故か自殺願望がわくもんね、そういうもんなんだな、ひえ〜こんなんわかりきった話なのかもしれないけど私は今更になって改めて知ったし実感した。

走って走って、足が止まった瞬間、一気に汗が吹き出して、心臓がどくどく言い出すのにも似ているのかもしれない。

 

納得して、ああなるほどねと少し安心して、それから普通に精神がぐらついた。

前の仕事より今の仕事の方が良い。それは確実な事実だ。でも、前の仕事で泣くより、転職活動より、がくりときたこの時期が一番ダイレクトにしんどかった。

 

前借りするくらい、頑張り続けて、頑張れば頑張るほど、辛ければ辛いほど、私はなすくんに救われていた。仕事を始めてからずっとなすくんが好きだから、仕事となすくんと私、生活はそれでできている。

それは凄い、本当に物凄い救いで。私はなすくんから力が貰えるのが好きだった。なすくんが好きだから、なすくんに救われることが嬉しかった。救われてる自分が好きだった。頑張れる自分が好き。

でも、だからね、その生活に慣れすぎて逆に分からなくなってしまったわけです。ずっと好き、今も変わらず眩しくて、支えで、でも、今の私はなすくんに救われるほど、頑張ることがない。本当はそっちの方が異常だしそんな環境いるべきじゃないと心から分かってても、きっと今の私はもうぼろぼろ泣きじゃくりながらでも赤くならないように目をこすらないように手を震わせながらなんとかなすくんの動画を見て背筋を正して目をこすらないようにそっとティッシュの端で目の水分だけ吸い取ってトイレから出ることはないのだ。

何が言いたいのかわからなくなってきた、いつものことですが。まあ簡単に言えばめっちゃ好きだけどめっちゃ辛い恋愛した後に普通の人と幸せになっても「あれっ私あの時ほど泣いてないしあの時の方が好きだったかも、あの時ほど恋してないかも」って思っちゃうやつ。(?)

 

この世には、泣きながら朝を迎えたりトイレで声を抑えてほろほろ泣きながら仕事をしたりした人にしか分からない気持ちがあると私は思っている。帰り道に泣きながらアイドルを見たことがある人にしか分からない世界の色。本当はね、そんなもの、分からなくても良いんだけどね。だから私はアイドルって大人にこそ刺さると今も思っているし、むしろアイドルを若い子向けの娯楽だと思える人の、精神の強さが煽りとかじゃなくて本気で羨ましくもある。

 

あれを知ってしまうと、あれがない世の中の生き方がよく分からなくなる。

頑張る私は、格好良い。

じゃあ頑張ってない私って格好良くないのかもしれない。仕事となすくんと私、(結果事実として前借りの全力疾走だったとしても)バランスがとれた、「好き」が作る生活。それがなすくんと私になった瞬間、私は途端に自分が恥ずかしくなった。眩しいなすくんが好きなのに、眩しすぎてどうすればいいか分からなくなった。あんまり救われすぎるとこんなことになるなんて知らなかった。めんど〜なオタクだな本当にな!

私は生きてるだけでみんな偉いと思っているし、頑張らないことを決められる人だって素敵で、強いことだと本気で思っている。この世の人はみんなみんな格好いい。本気でそう思うのに、対自分になると途端にぐらぐらしてああ〜〜ってなって無理だった。語彙力ないな。

魔法、貰ったのに。あんなにおすそわけして貰ったのに、その結果がこれってなんて、なんて情けなくて悲しい。そんな無駄なことを考えては止まらなくなった。分からなくなった。頑張らない時の魔法の作り方。

こうしてがくりと崩れた。まじで何もかも考えすぎ人間、生きるの下手で草

 

見るのが億劫で、それでもなすくんは、美 少年は本当に怒涛の、怒涛の仕事をこなしていて、波についていくには私の力が今は足りなくて、少し義務感になってしまう時があった。これは長いオタク人生から終わりの予感を意味していることが分かって(義務感になったらもうね終わりですからねオタ活はね)あっやばいって思った。こうやって好きが終わるのは嫌だ。

それでもね、すごいんですよなすくんってね。好きって凄い。元々なろうと思って好きになったんじゃない、勝手に好きになってしまったものだから、だからこう私が前述したようにぐーるぐーる勝手に何を考えようと、結局いつも「好き」の方から莫大なパワーですこーんと心を動かしてくるんですよ、そういうもの。

 

数ヶ月、とりあえず前借りしていたらしい元気や体調たちを丁寧に回復させようと気を取り直した時、でこぼこのガタガタになった毎日のその穴に、少しずつ栄養を注いでくれたのも結局なすくんだった。「なすくんのおかげで頑張る」が全くなくなった私も、情けなくて自己肯定感皆無になった私も、変わらずなすくんが好きで、ただただただただ単純になすくんは最高だった。

あっやばいって思っても、一瞬億劫になっても、目がなすくんを探した。情報が目に入った瞬間直結して心が何度も震えた。新曲を聞いて涙が出た。いつもそう。ぐるぐる考えて考えて、でも結局なすくんの前では全部飛んでいく。

かっこいい、かわいい、眩しい、愛しい、愛しい愛しい愛しい!!

仕事を頑張った後に見るなすくんの言葉は涙が出るほど沁みる。それを私は知ってしまった。でも、仕事をそこそこした後に見るなすくんもね、そりゃあもう最高だって知りました。馬鹿みたいな文章だな。でも、本当にそう。頑張ってても、頑張れなくても、格好良い私でいられなくても、なすくんは沁みるの。

昔、高熱に浮かされて息絶え絶えの中聞いたみなみなサマーは、本当に点滴のような、救いみたいな音がした。でも元気いっぱい部屋でゴロゴロだらだらしながら聴くみなみなサマーももう笑えるくらいに輝いて心に刺さった。当たり前の話、本当に笑っちゃうくらい当たり前のそれに気付けるくらい元気になるまで、なんだかんだ半年くらいかかっちゃった。

 

なんかこれもうブログというか完全に今考えて今打って吐き出してるだけなんですけど、こういうことをつらつらと話して、だから今仕事を頑張ってる人も、辛い人も、気をつけてね!自戒にしてくれ!って言いたいわけでもない。本当に人それぞれだし。でもなんか勝手に、那須担って同じタイプ、なすくんのおかげで頑張る!なすくんみたいに頑張りたい!の人が多いかなあと思っているのでこうなる人間もいるよ!頑張らなくてもなすくんって最高だよ!大丈夫だよ!無理しないでね!って言いたい気もするけどそれもなんか違うし何様?って感じだし。

うん。

 

この夏、なすくんはヒーローになる。

新しいドラマのポスターを見て、ああもう一年経ったんだなんて気付いた。一年前、私は全く違う景色を見て、全く違う形でなすくんに支えられて生きていた。何もしてない、何も成してない気持ちになっていたけれど、なんだかんだと今の私は、遠くに来ている。

どこかに行きたい!唐突にそう思って、仕事を辞めて、着地できたと思ったらぐらついて、悲しくなって、でも今なんとなく、自分なりの場所に着いている。そのことに、夏が来ることを知ったその時、ぼんやりと気付いた。

変わらず絶不調だけど、まだまだ病院のお世話にも友達のお世話にもなるけど、でも、一応、私の中でやっと生活がまた根付いた。そこにちゃんと、やっぱり、なすくんがいる。仕事となすくんと私。人生となすくんと私。色んな人生の壁に、その時々の形に、私が無理矢理あてはめようとしなくても気が付けばなすくんがすとんとはまる。その時々の支え方に、なすくんが、アイドルが、合わさってくれる。私が変わっても、生活が変わっても、救われ方が変わっても、変わらず変わらずなすくんが好き。

本当にすごい。本当にスーパーキラキラアイドルだし、ヒーローなんです。

それが、嬉しい。いつまで続くか、いつまで合わさるか分からなくても、だからこそ嬉しいなあと思う。

 

数年前の、春。新しいスーツに身を包んで、小さめの方が良いかと思って選んだら結局めっちゃ書き辛いって後で知ることになるリングメモ帳を片手に緊張していたあの時の私の心に、いつもなすくんがいた。惨めな飲み会の帰りも、認められた会議の後高揚しながら降りた階段も、「ここじゃない」って溢れた時も、なすくんがいた。新しい場所を探す時も、がくりと倒れた時も、目を背けたくなった時も、結局いつもなすくんがいた。

これから先また虚無感に襲われるかもしれないし、生きがいを仕事に見つけるかもしれないし、見つけすぎてまたしんどくなるかもしれないし、また新しい道を探すかもしれない。でもきっと、どんな私にも、どんな毎日にも、なすくんがいる。

仕事となすくんと私。なんで平日と休日が5:2なんだ比率おかしいやろって思うけれど、まあ今のところ仕方ないことなので働き続ける限り私の毎日は頑張ろうと頑張っていなかろうとどうしても仕事が半分以上を占めるだろう。人生みたいなもの、そのそばに、なすくんがいつもいる。なすくんと生きている、そうやって生きていけるって、もう百回目くらいしてる気付きをまた改めて得られちゃったわけです。

あーー、アイドルでいてくれてありがとう!なすくんのおかげでたくさんたくさん、頑張れてたよ!でも、なすくんのおかげで頑張らない毎日も大丈夫だって、思えたよ!私の本物のアイドルはずっとずっとなすくんだよ!

そんなことを、信じたいって思ってしまう。あんなにずっとなんてないと分かってて、一生好きなんて言えないって思ってたのに、あまりにも毎日が、世界がどんなに変わっても、ちゃんとなすくんが好きだから。

 

はーー結局なす担楽しいです。なすくんのおかげで頑張れる私が一番好きだけど、それだけじゃなくてなすくんと出会えた私が好きで、なすくんを好きになれた私が好きで、なすくんが大切な私が好きだから、まあ総括、私は私を悪くないなって明日も思えそうです。

今日も元気に宗教!!ヤーッ!

 

 

神さまもきっときみが好きだよ

 

大好きな大好きな大好きななすくんの誕生日、気持ちが飽和して心がいっぱいで、言葉が溢れすぎてしまうのでもう神様に手紙を書きます。何よりも身勝手でただ私のためだけのお願い事。

 

 神さま、なすくんがずっと元気でいますように。

もう突き詰めると本当に願いはまずこれで、今のご時世は特にそう。ただただ元気でいて欲しい。小さな頃は喘息がちだったなすくんが、クリスマスにはいつも熱を出していたなすくんが、どんな時も笑顔でいてくれること、頑張る姿ばかり見せてくれること、本当に愛おしくて、嬉しくて。なすくんが元気だと嬉しい。大きな病気はもちろん、小さな風邪も骨折も捻挫も事故も、全部全部、なすくんに降り注がずに消えますように。疲れた時はゆっくり休めますように。元気で、元気でいてくれますように。

 

 神さま、なすくんがいつもお腹いっぱい食べられますように。

食べることが大好きななすくんが好きだ。そのほっっそい身体で本当にそんなに食べるの!?30人前!?本当に!?その姿見せて!?なんて疑っていた頃が懐かしいくらい、むしゃむしゃぱくぱく食べる姿が私の中でも当たり前の光景になってきたのが嬉しい。食べ物を前にした時、無邪気に目をキラキラさせるなすくんはいつも可愛い。本当に可愛い。茄子に嬉しそうに反応しちゃうところも可愛い。焼肉大好きなところも可愛い。たくさん食べてね。ご褒美だって打ち上げ焼肉だって、食べたい時に食べたいものがたーーくさん食べられますように。おなかいっぱいと幸せいっぱいは似ているので、なすくんのお腹がいつもぽかぽかのもので満たされていて欲しいです。

 

 神さま、なすくんがいつも笑っていられますように。

なすくんの笑い声が大好き。あのどこまでも響く音。マイクがなくても拾っちゃう声。思わずそれを聞いた観客も釣られて笑顔になっちゃう笑い声。記事にも「ハハハ!」とわざわざ書かれるくらい高らかで気持ちの良い笑い方。先輩の前やテレビ番組ではにかむあの笑い方も好きだ。目がきゅるきゅるで可愛くて可愛くてこっちがとろけそうになる。先輩のギャグ(なすくんの笑いのツボが地味に好きだ)に楽しそうにゲラゲラ笑う姿もかわいい。くぼむえくぼも、大口開けてくしゃくしゃになる時も、なすくんが笑うだけで世界が幸せに思える。ずっとずっと、なすくんが心からたくさんたくさん笑っていられる世界が良い。

 

 神さま、なすくんがたくさん大好きな季節を感じられる世界でありますように。

なすくんのおかげで知ったものの一つに、季節の匂いがある。香りや天気、時間の風景をきちんと感じ取れるその感受性が好きだ。季節の移り変わりをそうして思えるなすくんが好き。だから、なすくんにとって大切な日はいつだって綺麗な空が広がっていて欲しい。泣きたくなる日も、辛い日も、月や星が綺麗であると良い。部屋で少し休む時は、雨の音が優しいと良い。春夏秋冬、なすくんが「エモいわ〜」なんて嬉しくなっちゃうような季節の香りがずっと巡って欲しい。花粉はちょっと加減してあげて欲しい。

 

 神さま、なすくんが学びたいことをたくさん学べる世界でありますように。

努力家で勤勉なだけじゃなくて、学ぶのが楽しそうなところが好きだ。知らないことを知る時の、本当に興味深そうに輝く瞳が好きだ。授業の中からちゃんと興味があるものを探し出せるなすくんの思考力の土台が好きだ。なすくんが気になるものを、気になるだけ、学びたいものを学びたいだけ吸収できる世界でありますように。そんな環境がいつだってそばにありますように。

 

 神さま、なすくんが学校生活を楽しめますように。

大切な大学生活も、「言い残すことないぐらい楽しかった!」って言い切れるような、そんな時間であって欲しい。死ぬ気で頑張って両立をやり抜いてくれたなすくんが、これからも頑張ると言ってくれたなすくんが、楽しく学校に通えますように。良い授業に恵まれますように。ノートをとってくれる、朝に一緒に勉強をしてくれる、そんな友達がずっとそばにいてくれますように。

 

 神さま、なすくんが家族からたくさん愛され続けますように。

しっかり導くお母様も、野球姿に夢を持ってくれたお父様も、色んな話をしたりお互いに成功を祈りあえる弟さんも、恩返しをしっかりしたきなこちゃんも、学業を頑張る姿を喜んでくれたおじい様だってお菓子を一緒に食べるおばあ様だって節目のお祝いにきちんと贈り物をくれる親戚の方だって、なすくんの周りには優しさが溢れてる。(もちろんそれだけが全てじゃないけれど)やっぱり人の土台には家族の基盤があると思うので、優しくて、努力家で、ほんわかしているけれど真っ直ぐ強いなすくんが今こうしてここにいてくれるのはきっとそうしてなすくんが育ったからで、それがすっごく、すごく嬉しい。まあ人は誰しもそうなんですがなすくんのようなアイドルは尚のこと、大きくなればなるほど、忙しくなればなるほど、家族との時間を使って舞台に立ってくれるのだろう。長期休みも誕生日も年末も。だから、少しでもたくさん、なすくんが大好きな家族とたくさん温かな時間をずっとずっと過ごせますように。

 

 神さま、なすくんが欲しいものはなんでも手に入りますように。

大荷物を入れる鞄も、カラスって言われるけれど似合いすぎるモノトーンの服も、挑戦してみたがっていたアクセサリーも、こっそり試していたサングラスも、CDだって本だって漫画だって全部全部、なすくんが欲しいものが手に入りますように!人気のものだって買えて、売り切れたものも再販して、目についた時にこれ!と思えるものに出会える、そんな瞬間ばかりでありますように。

 

 神さま、なすくんが大好きな人たちとずっと一緒にいられますように。

メンバーといる時のなすくんが大好き。初めてのユニットが、壊れて欲しくなくて頑張りすぎてしまったくらい大切に思うメンバーが、こうして今も続いていることが奇跡みたいに嬉しい。なすくんが面白いテンションもシュールなギャグもノリノリで繰り出しちゃうような、そんなメンバー。たくさん影響を受けて、学んで、切磋琢磨せずにはいられなくさせてくれるメンバー。なすくんが大切に思う分と同じくらいに、なすくんのことを大好きでいてくれるメンバー。ずっとなんて、本当にわがままだけれど、でも、なすくんが出会えたこの6人で、なすくんが行きたい宇宙の果て、歓声の果てまで、どこまでも輝いていられますように。

 

 神さま、なすくんが尊敬する先輩からたくさん可愛がられますように。

この話はサビなので百回したしあと百回するけれど先輩といる時のなすくんは本当に可愛い。前屈みで話を聞く時の嬉しそうな顔も、ちょっと緊張している顔も、目が合うか期待してチラチラしている顔も、反応がもらえた時の嬉しそうなふにゃり顔も、全てがとんでもなく可愛い。なすくんの前でいつも輝いた背中を見せてくれるたくさんの先輩たち。支えてくれる、導いてくれる、たまにお仕事だってくれる、なすくんがアイドルでいたいと思わせてくれる、そんな彼らがずっと、なすくんの前にいてくれますように。あわよくばたくさんご飯に連れてって美味しいものを食べさせてくれますように。

 

 神さま、なすくんが出たい番組やドラマに出られますように。

やりたかったドラマ。両立の頑張りの答えのようなクイズ番組。大学生になったからこその仕事、フレッシュな男の子だからこその仕事、どんなものもなすくんは楽しんでいて、喜んでいて、それが凄く、凄く嬉しい。なすくんが出てみたい!と思ったものにはなんでも出られますように。やってみたい!と思った役がどんどん回ってきますように。いつかいつか絶対、ニュースキャスターだってやれますように!

 

 神さま、なすくんが歌いたい歌を歌って、踊りたい時に踊れますように。

今まで歌ってくれた、全部の曲が宝物だ。前でキラキラと踊るなすくんが好き。後ろで口ずさみながら柔らかく踊るなすくんも大好き。たとえ誰かに先に取られたって(って言い方もちょっと違うけれど)、ファンが何を「歌って!踊って!」と主張したって、とにかくなすくんがやりたい時にやりたいものがやれますように。少しでもたくさん、なすくんが歌いたい歌を、パートを、踊りたい曲を、場面を、望むように貰えますように。これからのなすくんも、すっごくすっごく、楽しみだなあ。

 

 神さま、なすくんが頑張れば頑張るだけ、その手に幸せがちゃんと返ってくる世界でありますように。

多分那須担でアンケートを取ったらお顔と同じくらい、なすくんの頑張る姿が一番好きだって言う人が多いんじゃないかと勝手に思っている。私だってもちろんそうだ。頑張る力があるなすくんは凄い。頑張ることを格好良いことだと分かっているなすくんは凄い。頑張り続けられるなすくんは強い。「なすくんは頑張ってる!」「真面目で努力家!」の賞賛がなすくんを勝手に枠にあてはめて、固めて、締め付けてしまうことがあるのかもしれないと、思う時もちょっぴりある。でも、それでも、やっぱりなすくんには大きな声で頑張れを言いたい。そう私はずっと思っている。信じているから。信じさせてくれる人だから。だから、なすくんが頑張ったことは、全部報われますように。人生全部つながって、全部、どころか何倍もの実りになって、返ってきますように。どうかどうかなすくんがずっと、頑張り続けられる、一生懸命頑張れば報われると信じ続けられる、そんな世界で、ありますように。

 

 神さま、なすくんの夢が全部叶いますように。

ドリボ期間中、ずっとずっと、ずーーーっと思うことがこれだった。こんなに柔らかに笑う子の、光り輝く子の、かわいいかわいい子の、夢は全部叶うべきです神さま。ドームでボールを投げたみたいに、ドラマでバットを振るったみたいに、野球選手にだってきっとなれるよ。アイドルでも、ボクシングでも、キャスターでも弁護士でも検事でも医者でももうなんだって!なすくんが考えて思って描いた夢は、なんだって叶って欲しい。それがどんな道でも、どんなゴールでも、なすくんが叶えたい夢は全部叶えば良い。

 

 それでも、神さま、なすくんがずっとここにいてくれますように。

なすくんが、この先学びたいものを学んで、見たい景色を見て、その先に新しい夢を芽吹かせたなら、きっとそんなに愛しいことはないって分かっているけれど、それでもずっとずっと、思わずにはいられない未来の話。好きになった日、気が早い臆病者なので、さよならしたくないなあと思った。私はこんなにもなすくんが好きだけれど、私は結局ただのちっぽけなオタクなので、私となすくんのさよならはたった二種類しかない。私の好きが薄れるか、なすくんがこの舞台からいなくなるか。考えたって仕方がないのに好きだからこそどちらも恐ろしくて、でも、恐ろしいからこそ何度も何度も考えた。まあ、正直好きになった時からゴリゴリに推されていたので明日退所してるかも解散かも( ;  ; )なんて思ったことはあんまりなかったけれど。それでも、やっぱり、思ってしまう。ここにいて欲しい。この舞台の上で、ずっとずっと輝いて。この世界で生きてるってずっと言って欲しい。生きがいだと、ただ一つの道だと、そう思っていて欲しい。なすくんが一番見たい夢がここだと良い。なすくんが望む世界がここだと良い。なすくんが一番好きな時間がここだと良い。なすくんがずっと、あのスポットライトに照らされていれば良い。ずっとペンライトで、星の海を作らせて欲しい。

 

 だから神さま、なすくんがスーパーキラキラアイドルになれますように。

『巨大な光に。一番眩しくて永遠に光る星みたいに』

眩しい眩しいなすくんのその言葉を見た時、咄嗟に思い出したのは、好きな作品の台詞だった。

アイドルにファンが求めるのは「永遠」なのだと、夢の終わりなんて誰も見たくないのだと、伝説じゃなくたって、顔に傷があったって声が出なくなったって、終わらないでいてくれたらそれで良いのだと、そう語るシーン。

私はなすくんの夢に夢を見ている。なすくんが輝いていく様を見てああ世界って悪くないなと思っている。人生って無駄なこと何もないんだなちゃんと報われるんだな、繋がってるんだな、なんて思えるのだ。本当は永遠なんてなくて、そんなこと分かっていて、だからこそ愛しくて、だからこそ願わずにはいられなくて、それでも信じてしまうほどアイドルは愛おしくて強くて眩しい。

出会った時からスーパーキラキラアイドルじゃなかったことなんてないのに、それでも毎年、どんどんその最高が更新される。なすくんはどんどん輝いていく。スーパーキラキラアイドルになっていく。その天頂はあるんだろうか。階段を登り続けて欲しいのに、天頂なんてなければ良いと思ってしまう。ずっと、ずっと光る星でいて欲しい。なすくんの夢が叶って欲しい。なすくんにここにいてほしい。そんな願いも我儘な欲も全部混ぜるとこれにいきつく。

どうかどうかなすくんが、スーパーキラキラアイドルになれますように。

 

 

なんて、こんな願い事全部、神様に頼まなくたって、本当はなすくんが自分で叶えていけること、知っています。私が願っても願っても、それは身勝手で、家族や学校のことなんて尚更ただの外野の偉そうなエゴで、自己満足な、ただのささめごとでしかないことも。それでも祈らずにはいられない、いるかも分からない神様に、届くかも分からない祈りを、願う権利もない私が願ってしまうくらい、ずっとこの子が、この子がかわいい。

ずっとこんな風に、神様に祈っていられますように。それくらいの好きをくれたなすくんは私の宝物で、そしてなすくんが好きってこの気持ちも、大切な大切な宝物だから。

祈らずにはいられないくらい、ずっとずっと、好きでいたい。呼吸するように愛していたい。

 神さま、この好きをずっと抱えていられますように。

 

 神さま、ねえ神さま、なすくんが幸せになりますように。

もう本当にそればかり。結局はこれに尽きる。

なすくんを幸せにしてください。いやまあなすくんはなすくんの手で足で幸せを掴めるので、どうかその道が少しでも優しい道であるように、少しでも茨が刺さらないように、冷たい風が吹かないように、疲れた時に井戸が見つかるように、どうか。

 

 

ほんとにほんとにおめでとう、たくさんたくさんありがとう。生まれてきてくれて、アイドルになってくれて、出会わせてくれて、笑っていてくれて、頑張っていてくれて、ここにいてくれて、ありがとう。思っても思っても足りないのに、言っても言ってもおさまらないのに、結局言いたいことはずっと変わっていないし単純なこと。

 

世界中で一番、一番、幸せになりますように!

元気で、幸せで、ここにいて!

なんて思うけれど、幸せになりますように、じゃないのだ。幸せになれるのだ。はい。絶対なれます。

だってこの地球、なすくんが作ってるもんね!

なのでまあ、神様も多分那須担なんだと思います。

 

 

あ〜〜地球に生まれて良かった〜〜!!!!!!

ヤッ!!!!!!!!!

 だから神さま、来世もなすくんを見つけられますように!

常夜灯

 

「ねえ、なすくんテレビ出てたでしょ!」

 

これ、今年、めちゃくちゃ言われた。私は好きなものを人に言うのが苦手なので特定の人にしかなすくんの話をあんまりしないのだけれど、それでも今年驚くほど日常の会話で、LINEで、さらりと「なすくん見たよ」って言われた。仲の良い友達や職場の人から「なすくん」って言葉を聞く度に心が凄くくすぐったくなる。

周りにあらゆるタイプのオタクがいるけれどジュニアのオタクはいなかったので(それも中高生の)(って書こうとしてでもなすくんはもう大学生なんだわってまたびっくりしちゃった)(っていうオタク特有の一人会話セルフツッコミ)、その人たちにとっての「なすくん」はあまり好きを言わない私が遠慮がちに零した「この子好きなんだよねえ」って小さな一言二言の会話の中の朧気な存在でしかなくて、私もそれでいいやそんな深く話すもんでもないし〜って感じでさらりと会話をいつも終わらせていたのだけれど、それでも思ってた以上の色んな人に「なすくん、見たよ!凄いじゃん!」とか「出てたね」とか「もう大学生になったの!?早いねえ」だなんて言われる度にあ、私が好きなこと覚えてたんだ、とか、私は私の好きを一人であたためてたような気持ちでいたけどちゃんとひとかけらでも人と共有していたんだなあ、なんて驚いてしまった。

それに、やっぱり、何より、なすくんが凄い。

 

そう、2020年のなすくんはとてつもなく凄かった!!!!!

 

去年の年越し、来年はきっとまた予想もしない景色を知るんだろうなって思いながらなすくんに思いを馳せていた。大学進学が決まったなすくんが仕事を次々こなしていくのを見て期待だってしていた。

そして今、やっぱり予想もしなかった世界に私はいる。いやきっと誰も予想なんてしていなかったことが、たくさんあった一年だった。悔しいことも切ないこともやるせないことも、胸が痛むこともあった。

それでも、「今年、何してたんだろう」だとか「何もなく終わっちゃったなあ」なんて会話を色んな色んな人とする度に、何度でも思う。

え、そう???(煽ってるわけじゃないよ)

 

失ったもの。ライブに仕事の形、旅行にのびのびとした外食、深夜のロータリーでゲラゲラ笑う時間、知らない隣の人たちと飲むお酒、花火大会、たくさんの行事。たくさんたくさんあった。けれど、失われたなあって、あまり思わない一年だった。そりゃもうあっという間に過ぎ去っちゃったのは確かだけれど、何もなく終わったなんて思いはない。いやそれは本当は多分私が結局インドアの一人好きなのが一番大きいんだろうけれど、それよりだって、だってだって!!

そう、2020年のなすくんはとてつもなく凄かった!!!(2回目)

 

春。なすくんは初めてのドラマに出た。テロップに名前が流れた瞬間胸がいっぱいになってどうにかなりそうだった。そうしてなすくんは高校を卒業した。綺麗な綺麗な青空の日で、それだけのことがとてつもなく嬉しかった。大好きなクリエがない春。シャンテで半券を使ってビールを飲まない春。でも家での知らなかったなすくんを知れて、どんな時もアイドルでいようとしてくれるなすくんに愛おしさが募った。最高の春だった。

 

夏。初めての、初めてのグループ全員でのドラマ。一生忘れられない、宝物の夏。

大好きなEXがない夏。暑すぎて溶けそうな屋上で、フォロワーをきょろきょろと探さない夏。最高の最高の配信を、家でかじりついて見つめた。全部、全部が好き!あのイントロ、華やかな衣装で出てくるランウェイ、光の6人、受け継ぐ意思を感じる和コーナー、名脇役。この子たちと、なすくんと一緒に歩みたいって心から思った夏。たったの50年、見ていられたら、そう祈らずにはいられない。最高の夏だった。

 

秋。舞台も何もない秋。凄かった。本当に、大学生になったらますます増えるかな〜なんてわくわくしていた去年の予想を簡単にぶっちぎるくらいの仕事量。思わず「な、なに!?なにがおこってるの!?」なんてわたわたしてしまうほどなすくんは怒涛のテレビ仕事をこなしていた。二回目の単独表紙。なすくんの頑張りがなすくんらしい仕事に結びつくのを見る度に、人生って本当に繋がってるんだ、全部が繋がるんだ、という気持ちで溢れてくる。人生を好きになれる。もうお察しですが相変わらず感情が重い。憧れの先輩との共演。なすくんはいつみても超絶格好良いし猫ちゃんのようにそりゃあもう可愛かった。大学生になってからのなすくんは本当に格好良さが止まらなくてこんなに見てるのに毎回新鮮に「かっ、かっこよ!?」ってびびり散らかしてしまうのですがそれでもやっぱりなすくんはかわいい。なすくんのね、まとう空気が好き。大好き。ふんわり可愛い、優しいあの空気をいつまでも守りたいよね。そんななすくんにぴったりな三回目のドラマ。なすくんがこの空間に入れることが嬉しい!って思ったらTLの那須担みんな同じこと言ってたから笑った。分かる。金田くんに道史くんに武内くん。大切な「好き」がまた増えて、嬉しかった。

そしてそして、憧れの嵐さんのバック。前に嵐さんの後ろで踊るなすくんをテレビで初めて見た時、あまりに楽しそうで、口を大きく上げて全力で歌っていて、(私の中の勝手な夢想フィルターでは)こんな顔をするなすくん、初めて見たって驚いてしまったのをまだ覚えている。それくらい、特別なのだ。全部全部が楽しいって全身が言ってた。いやもう全部妄想なんですけど相変わらず。でも、嬉しくてたまらなかった。私の幸せの土台にはなすくんの幸せがあって、もうそれは切り離せなくて、だから、なすくんが幸せなこと、ここにいられること、全部が、全部が嬉しくて、幸せで涙が出た。最高の秋だった。

 

そして、冬。会えたら泣いてしまうのかな、なんてこの一年ずっと思っていた。というかその前に会えない日々に耐えられるのかな、とか知らない人みたいに思っちゃったらどうしよう、とか。逆にこの一年有難い供給が多すぎて全然なすくん不足な気がしないよ〜なんて思う瞬間もあった。

なんか生活とか自分の気持ちに色々あったこともあって、初日、電車の中でもうそわそわして死にそうだとか、幕が開いた瞬間に泣きそうとか、思っていたよりそういう感情がなくて焦ってしまった。私、なすくんのことでどれくらい心動くんだっけ?なんて双眼鏡を握り締めながら思った。真っ白な光の中、なすくんが出てきて、その瞬間「大人になったな」と思わずどきりとした。いつのまにか。微笑みながら踊る一挙一動が柔らかくて、でも、知ってるなすくんで、知らないところも知ってるところも全部がなすくんで。

でも、なんかもうなすくんを見る前ではそんなこと何もかもどうでも良かった。可愛くて、柔らかな弟。可憐で、愛しくて、でも顔立ちは凄く男の子らしくなっていて、シルエットが浮かび上がる度に反射的に目がなすくんを探し当てた。「探さなきゃ」とか「なすくんだ」とか頭で思う前に、もうこの目が、この手が、本能みたいに勝手になすくんを探していた。一番に見つめてしまう人。好きになった時と何も変わらない、これが答えだった。この子なんだって、何度でも思う。私にとってはこの子。この子がずっと本物。それはもちろん他が偽物だとかそういう話をしたいわけじゃなくて、何度でも、何度でも、なすくんを見る度に、見つけようと心が勝手に動く度に思うのだ。私の本物。

帰り道、大好きな街並みをぼんやり歩いて、そこでやっとじんわり泣きそうになってしまった。嬉しくて、愛しくて、あと、ちょっとだけ、探せて良かったって、思って泣いた。まだなすくんのこと探せる。一番に見つけられる。

会えなくても、一緒に歩いてきたな、と思えた。そんな一年をなすくんがくれた。

 

というのは一年のまとめで(長すぎる)、こんなこと書きながら正直まあ、ま〜〜あ心が揺れ動いたこともある一年だった。こんなになすくんを直接見ないの初めてだし、そもそもこんなに生活が変わったことも中々ない、そんな一年だったから。まあ簡単に言えばモチベーション?なのかな?好きなのはずっと好きだけど、「本当に好きだっけ」とか「どんな風に好きだったっけ」だなんてぼんやり思ってしまうこともあった。だってだって現場が答えだと思ってる人間なので。この目でなすくんを見て本物だと噛み締めて生きているタイプなので。なすくんってなんだろ〜って哲学をぐるぐると考えながら、タイミングなのか好きだった人たちがどんどん趣味から離れていくこともあって、何度も何度も迷子になった。もしかして前より私好きじゃない?って焦る瞬間もあった。怖かった。好きだから、好きじゃなくなるのが、怖い。

 

いや本当に矛盾してる話をしてしまうけれど、私は本当によく分からない心の弱いオタクなので、好きになった瞬間にもうさよならの準備をしておくような、そんな人間だ。

なすくんのことをずっと好きでいたいのに、人生目標としてはなすくんのことを当たり前の日常に溶かして、なすくんがいなくても歩けるようになりたいとも思っている。なすくんから上手く卒業して、見つけようとしなくても見つかるようなそんなビッグなスーパーキラキラアイドルになったなすくんをたまにふと見つけて愛おしく救われたりしながら、自分で自分の世界を歩いていく。そんな日を夢見ている。ずっと特大の好きを抱えて見つめ続けたいとも思ってるくせに。自分でもよく分からないけれど。

ずっと好きでいたいから、ふとした仕草や生活や思考の癖に、なすくんがくれたものを溶かしておきたい。自分の中に当たり前に溶かして、なすくんがいなくても、なすくんがくれたもので生きていけるように。前にブログでも書いた通り、そう思って生きている。

 

でも、怒涛の仕事をこなしてもまだなすくんは、街を歩けばどこにいても見つかるような、勝手に雑誌の表紙に目に入るような、テレビをつけてればCMに当たり前にいるような、そんな存在にはこれからなる途中だから、やっぱり私が探さなきゃ簡単になすくんのことが分からなくなる。雑誌もテレビもなんとか追っていたけれど、これ、追わなくなったらもう分からないんだなって何度もふと思った。なすくんが何に出てるか、今何をしているか、どんな髪型になって、どんなことを頑張って、どんな人になってるか。

(いやもう結局本当は何も知らないんだけど!相変わらず全部夢想なんだけど!)私がこんなにも見つめたなすくんは、簡単に私の世界から消えてしまう。簡単に。

でも、そんな時、

 

「なすくん、出てたね!」

今年たくさん言われた、その一言が。それにくすぐられる心が、何度も何度も私の世界になすくんをくれた。世界規模では分からないけれど、私の日常には、私の世界、私の周りには、確かになすくんが溶けていた。当たり前のようになすくんがいて、私が見ても見なくても私の代わりに見つけた誰かが私になすくんを教えてくれる。友達と他愛ない話をしている時に。仕事中のふとした瞬間に。「なすくん」が現れる。その度に「あ、私、なすくんが好きだ」って思う。

それって、凄い。凄いことだ。人の繋がりが私の世界を作っているし、何よりやっぱり、なすくんが凄い。どんどんなすくんは進んでいく、世界を、景色を広げて、たくさんの人の目に留まっていく。いやこれって好きな話をたくさんするタイプの人たちには当たり前の話なんだと思うんですが、私は本当にあんまり好きなものの話をしない(って自分なりには思ってる)人間だから、尚更、びっくりしてしまった。実感して、感動してしまったのだ。

「へえ〜これが好きな子なんだ〜若い〜初めて見た〜」ってぼんやりとした認識で聞いてくれていた知人たちがふとした時にテレビを見て「なすくんだ!」って見つけるくらい、そんなところまで、なすくんは来たのだ。凄い。凄い。

そうしていつも、なすくんがいてくれる。私の世界になすくんがいる。ちゃんと、見つかる。

それが凄く嬉しくて、それに凄く救われた。

 

まあ結局そうやってどれだけ揺れ動いても、根本的にはずっと好きで、私の日常にはいつだってなすくんがいて、会えても会えなくてもこんなにもなすくんのことが私は好きだった。大好きだった。この一年、ほんとにほんとに楽しくて、素敵な思い出ばかりで、変わらずなすくんが好きだった。ずっとなんて分からなくても、今年もやっぱりなすくんが好きで、きっと年が変わる明日もなすくんのことが大好きだ。

それでいい、きっといい。

 

あー、今年も最高だった!今年もなすくんが大好きだった!!!

去年より大きく変わった世界で、去年よりもずっと大きくなったなすくんを見ながら、それでも去年と変わらないことを思っている。きっと時期をずらして行く初詣で今年も私は当たり前のように「なすくんが元気で幸せでありますように!」と願うんだろう。

 

本当は何も、知らない。でもそれでも良いと思ってしまうくらい、私はこの真面目で、少しほんわかしていて、言葉遣いが面白くて、仕草が可愛くて、優しくて真っ直ぐななすくんのことが大好きで、たまらなく大切で、息をするようにこの子の幸せを願い続けている。巨大な光。キラキラした太陽。あたたかな木漏れ日。眩しい星。優しい月。そんな光が、全部なすくんに見えるくらいの、好き。

 

きっと来年の今頃だって思いもよらないことばかりあるんだろう。何があったって、やっぱり今年もなすくんが好きだったなあ、って思えるそんな一年だといいな。新しい景色を見せてもらえるの、楽しみだなあ。

大好きななすくん。かわいいかわいいなすくん。来年もよろしくね!元気でいてね!笑っていてね!

またね!!!

「頑張ろうね」

 

頑張れが、苦手だった。

 

小さい頃は頑張れって魔法の言葉だったのに。

多分これってわりとあるあるだと思っているのだけれど、大きくになるにつれて「頑張れ」のたった四文字に複雑な感情を抱いてしまうようになったし、思春期を迎えるとただ無責任に「頑張れ」なんて言うこと自体ひどくナンセンスに感じるようにさえなってしまった。言われることも、言うことも。

だってもう頑張っている人に言う頑張れも、今頑張ることをしていない(っていう言い方さえ好きじゃないけれど)人に言う頑張れも、なんか重石になってしまうような気がした。頑張れって前向きな言葉のはずなのに、苦しめるばかりの響きしか私には生み出せない。それはきっと私が「頑張っていない」からで、頑張りが「足りない」からで、結果を出せていない「私なんか」が言って良いことじゃないような気がしていた。

流石にダサいとまでは思わなくても、大人になった私は、やっぱり未だに頑張れって言うのが苦手だ。

 

頑張ったって無理なことが増えてくる。本当は頑張っているつもりなのに、「もっと頑張ってる人」に埋もれて惨めになる。そもそも頑張るなんて精神論に過ぎなくて、頑張る頑張るって口にする度にそこに結果が伴っていない自分が恥ずかしくなる。そのくせ本当は頑張ってるかもしれない誰かに「もっと頑張れば良いのに」なんて一瞬思ってしまって、その後そんな自分が身勝手で苦しくなる。そう思うとますます人に頑張れなんて言えなくなる。生きるって難しい。そんな繰り返し。

それに比べて、アイドルを応援するのは気持ちが良かった。なんて無責任に頑張れを投げかけられるんだろう、なんて安易に気持ち良く、頑張れを託せるんだろう。まさにアイドルってそういう意味でも最高に娯楽だった。

 

ずっと、ずっとそう思っていたのに、なすくんを好きになった時、私は大切すぎて、愛おしすぎて、傷つくことを勝手に恐れて、心の端がいつも言っていた。もう頑張らなくても良いよ。頑張りすぎなくても良いよ。

いや私だって、何度も何度も話してしまうように初めてなすくんを好きになった時、その優秀な遺伝子だけで作られたような顔面が、経歴が、全てが眩しかった。もちろん、完璧なんかじゃなくて、そこが目が離せなくて、大好きになったんだけど。今も本当はちょっとだけ分かっている。なすくんの努力が報われるのはもちろんなすくんの力だけれど、それだけじゃなくて、持って生まれた才や運があるからだ。なすくんは選ばれている。

でも、だからこそ今以上に、好きになった時はなすくんが頑張る姿を見る度に眩しい前に心の隅が、ほんのちょこっとだけ隅がいつも痛んだ。勝手にハラハラしていた。華奢な身体に、まだ完璧とは言えない動きに、拙い喋り方に、怒涛の波のように押し寄せる期待の渦。努力だけじゃ足りない世界を生きるなすくんが、いつか飲まれてしまいそうで勝手に、ほんっっとに勝手に心配していた。乗れる大波がやってくるだけ有難いことも、余計な心配なことも、贅沢で無力な願いなことも、全部分かっていたのに。その頃のなすくんの口癖が「頑張らなくちゃ」だったなんて聞いた日には胸が痛くて泣きそうだった。

この話前もブログでしたね、すぐ同じ話しちゃうね。

同じ話をするけれど今はなすくんのその言葉が決して追い詰める、マイナスな言葉じゃないと思っているし(きっと本当に悩んだり、重く感じたり、苦しんだりした意味が少しは含まれていたのも確かだろうし、それは今だってそうなのかもしれないけれど)、なすくんは努力を本当に力に変えていける人なのだと心の底から信じている。

 

なすくんは、かっこいい。まず顔だけで億の価値があるくらいかっこいいし、思考から何から全てがかっこいい。何よりやっぱりなすくんがかっこいいのは、なすくんが頑張っているからなのだと思う。頑張ってるなすくんは、世界で一番かっこいい人だ。

 

頑張れが、苦手になって。

大人になってからはなおさら、頑張る機会が減った。いや仕事めっちゃ大変だけど。一人の人間としての色んな重責はかかってくるけど。でもなんだろう、それこそ思春期の私が抱いていたような頑張りとは別というか、頑張りたくなければ頑張らなくて良い、そんな抜け道のようなものを作れるようになった。頑張ることが全てじゃない。それは悪いことでもずるいことでもなくて、大人になることで得たとても良いことだとも思っている。

 

それでも、そうして大人になって、なすくんを好きになってから出会った、「仕事を頑張ってる人は、かっこいい」の言葉。

なすくんの言葉や考えに救われたことがたくさんあるし大好きな大好きなものがたくさんあるのに、これが何故かずっとずっと残っている私にとっての星の言葉。あっそうか頑張るって格好良いのかって今更ながら気付いた言葉。当たり前だけど、単純だけど、見えなかったこと。

頑張るってことに苦手意識があったけれど、頑張りたい!って思うようになった。大人になるにつれて遠ざけた「頑張る」って意識が、宿った気がした。

 

私なりに、頑張った今日の私、かっこいいかな?って考えるようになった。些細なミスが情けなくて湯船でほろほろ泣きながら、でも、頑張ったからちょっとはかっこいいと良いな、なんて思った。それはなんかむしろもう祈りに似ていて、でもそう思うことでどんなにぐずぐずでも心にすっと芯が通った。

ただただ暗示みたいに、呪文みたいに、「頑張る、頑張る」と自分の中で唱え続けた。

 

でも、だからこそ、なすくんの頑張りを見る度にふと思うことが増えた。頑張るって、なんだろう?

なすくんを見る度に、私も頑張りたいなあと思う。そういう力を沸かせてくれる、なすくんは最高の男の子だ。嫌なことを忘れさせてくれるだけじゃない、全部受け止めてくれるだけじゃない、背中を押して生きる力をくれる、とびっきりのスーパーキラキラアイドル。

でも、頑張りたいなあって思う度に、何を頑張れば良いんだろうってぼんやりと考えるのだ。美容を頑張る?人付き合いを、仕事を頑張る?そう思う度に、やっぱり私の技術では、容姿や才能では、そして気力では限界があって、頑張りが「足りない」なあって思う。

全然バリキャリでもなんでもないので仕事をめちゃくちゃ頑張って世の中的に凄い人になれるわけでもなく、私の仕事頑張るなんて今日も上司の小言をやり過ごして何事もなく1日を終えるくらいだ。美容の頑張りだって目標体重に行くとか、おやつを今日は我慢する!とかで、その結果が行き着く先だってスーパーモデルになれるとかいうはずももちろんなく、周りに「めっちゃ可愛くなったよね!」って言われるみたいなことさえ微妙なくらいで、まあデートに役立つとか褒められる回数がちょっとは増えるかもしれないくらいで。人付き合いなんてものにしたらますます、頑張るってなんだ?頑張らなくちゃいけない人付き合いとは?って感じだし。

それって頑張ってるのか?世の中にはもっと頑張っている人がいるのに?目標なんてない。これで良いのかな?がぐるぐると回る。いつまでも、今だって分からない。

 

そうしてこの数年間生きてきた。私なりに頑張って、でも頑張ることの行く先が分からなくなって、私何のために頑張ってんだろうなあ、なすくんはこんなに頑張ってるのにって何度も思いながら。

そしてこの夏、雑誌を広げたら、今のなすくんが、高校3年間本当に頑張りきって、大学生になって、課題に追われながらも仕事も頑張っているなすくんが、言っていたのだ。努力する理由について。

「ただ、頑張っていたいんです。頑張っている人はかっこいいから、自分もそうでありたい」

あの時、仕事を頑張る女性はかっこいい!って言ってくれたなすくんと同じ星だった。変わらない星だった。私が信じたあの時のまま、きちんと変わらない好きがそこにあった。いいや、あの頃よりももっと眩しい。

胸のつかえがすとんと降りた。情けないけれどまた泣きそうになった。

 

ああ、そっか、それで良いのか。

私の頑張るはいつも外に向いていて、結果や欲しいものやなりたい姿のため、ただ前に前にがむしゃらに走るイメージだった。だから、それがない、結果がついていかない私の頑張るは足りなくて、少し恥ずかしくて、でもそれを凌駕するほど頑張りを増やす気力も沸かなくて、情けなく感じていた。

頑張れを伝えることが、頑張ってます!と大声で宣言することが、苦手だった。けれど、なすくんの言葉で、自分に矢印がやっと向いた。いいや前からなすくんのおかげで向き始めていたのに、気付いてなかっただけかもしれない。

すとりと落ちた。答えをもらった気持ちだった。

 

頑張りたいから、頑張る。それで良かったんだ。頑張らないより、頑張りたい。それが華々しい結果へ続く苦難の道じゃなくても、人に比べたらちっぽけでも、ただ、頑張っていたい。頑張っている人はかっこいい。なすくんは、世界で一番かっこいい。私もそんな人でありたい。かっこいい人になりたい。そうありたいから、頑張りたい。

 

(めっちゃ細かいけれど「努力し続ける理由…?」の「?」が超良かった。自分から語るんじゃなくて、聞かれて初めて答えるみたいな、でもそこにきちんと芯が通っているのが、なすくんにとって当たり前のように存在しているその考えが、強さが、私が大好きな大好きななすくんの何よりも素敵なところだった。)

 

私、よく失敗のイメトレをする。

これは学生の時に先生から教わったことで、起こりうるあらゆる失敗とその対処法を予め書き出して、考えて頭に入れておくことで、逆に自信を持って望めるのだ。大事な場面でこそ、色んなパターンの失敗の想像を、うっかりするかもしれない抜け道を何度も考えておく。これはもちろん大切なことで、必要なことだと今も思う。

でもなすくんは部活をしていた時から、成功する、上手くいく自分をイメージトレーニングしていた、今もそれをしているって聞いて、そういえば私って上手くいく想像はしていなかったことに気付いた。過信してしまいそうだし、期待外れになったら勝手に悲しいし。でも、そっかなすくんみたいな考えもあるんだなあって思って、最近は失敗だけじゃなくて、上手くいく自分も考えてみるようになった。それは心がそっと持ち上げられるような行為で、小さな小さな、でも私にとっては革命的な新しいことだった。こうだったら良いなって、思うようになった。

なんだろう。成功を考える行為そのものより、「そっか、そう考えても良いんだ」って思った気付きが私にとっては大きかった。心が軽くなった。目から鱗みたいな。

 

そうやってなすくんは、いつも新しい視点をくれる、そっと支えてくれる。世界を広げて、呼吸を少しだけ楽にしてくれる。たまに過去の自分までそっと肯定してもらえるような気分にもなるし、未来の自分まで守ってもらっているような気にもなる。

 

頑張れって言うのは、今でもちょっと苦手だ。けれど、なすくんがくれる頑張れが大好き。ずっと、ずっと、今も。

それはなすくんが頑張る、素敵な人だからで、目標に向かって走る強さを持っているだけじゃなくて、「頑張りたいから頑張る」って根本をきちんと持てている人だからで、そんななすくんが大好きで、そんななすくんを大好きになれた今の自分が、この好きが大切で、大好きで。

だから、思う。アイドルに、無責任な娯楽として投げつけるのとは(本当は変わらないんだけれどね)違う、大きな大きな大切な感情で、大声で。

 

頑張れ、頑張れ、頑張れ。頑張れなすくん。

意味のない応援でも、もう十分頑張ってるなんてこと知ってても、結局届かなくても、でも、そんなもの全部全部どうでも良くて、ただ心の底から湧き上がるように思う。この気持ちは無理矢理じゃなくて、悩んで伝えるものでもなくて、自然に湧き出るものなんだって、やっと知った。

頑張れ、頑張れ。

私も頑張るから。なすくんが頑張るから頑張るなんて、本当はこれも一種の転嫁なんだってこと分かっている。それでも、そうじゃなくて、似てるようで違くて、私は私で、ちゃんと頑張りたい。頑張ろうねって言い合いたい。かっこいい人間になりたい。結局ただそれだけだ。そういう人間になりたいんだ!ずっと。

へこたれて、ずるをして、怠けて盗んで罵倒して、それでも、そんな身体を引きずりながら

頑張ることをやめたくない。何度でも何度でも頑張りたい。頑張ったなあって何度でも思いたい。

まあ、ずっとずっと100%の力でガムシャラに頑張りたいわけじゃないしそんなのは無理だ。それでも、やっぱり、頑張ることからは逃げたくない。諦めたり、理由をつけて遠ざけたり、ダサく恥ずかしく思って笑い飛ばしたりしたくない。別に大きな夢なんてないし、頑張らなきゃいけない目標なんて今の私には何もない。大人になった今や試験さえない。それでも、そうじゃなくて、ただ生きるだけで良い、席を譲るだとか姿勢を正すだとかそんな小さなくだらないことで良い。頑張っていたい。頑張っている私のまま、胸を張ってなすくんに頑張れって言いたい。そしていつか誰かにもちゃんと、頑張れって心から伝えられる人になりたい。わたし頑張ったんだって笑える人になりたい。だってそれってかっこいい。結果とか得たものとか職業とか技術とか関係なく、かっこいいじゃん。

 

まだたった数週間だけれど、頑張るって言葉が、最近は少し好きになった。

「今日も頑張ろう」って思うこと、「頑張らなきゃ…」って重い言葉じゃなくて、言い聞かせる暗示じゃなくて、よし!って心に灯りがともるような感覚になった。切り替えスイッチみたいな。

何を頑張るんだよとか本当に頑張れるの?みたいなモヤモヤとした疑問じゃなくて、とにかく今日も頑張ろ〜って軽い気持ちで思えるようになったし、不思議なことにそう思うことで逆に道の先が、頑張りたいことが少しずつ見えてくるようになった。

家族や友達、周りの人に「今こんなことを頑張りたいんだ」を伝えてみたら、まあお世辞かもしれないしテンプレートかもしれないけれど笑顔で「頑張れ!」って返してくれることに気付いた。頑張れ。面と向かって久しぶりに言われた気がする。それは重くもなくて、邪推もなくて、案外ほんとに嬉しくなる、魔法みたいな言葉だった。魔法にしてなかったのは世間じゃなくて自分だったのかもしれなかった。

 

なすくんがまた過去の自分に手紙を書くとしたら、きっと頑張れって真っ直ぐに言うんじゃないかって、前も言ったようにずっと思っている。そして今のわたしも、もしもあの頃のなすくんに、そして未来のなすくんに何かを言えるなら、無理しないでねでも休んでねでも頑張ってるのは分かってるから頑張りすぎなくて良いんだよでもなくて(それももちろん今もすごく、すごく思っている)、大きな声で頑張れ!って言いたい。頑張れ、頑張れ。そう言える自分が好きだし、そう言える人に出会えたことがとてつもなく嬉しいし、こうして私の世界はどんどん強くなっていくような気がする。

ずっと、好きだけが強さみたいな人生だ。弱い私はずっとそうやって生きてきた。でも、この好きがあるから、私はこんなにあたたかく、私なりに優しく、格好良く生きていける。

それって最高、ほんっとに最高だ。

 

 

余談だけれどなすくんがハグって言うの、凄く似合うと思いませんか?

抱きしめるじゃなくて、ハグ。

なすくんのことを思うと、私はいつでも抱きしめたくなる。なすくんっていうか、なすくんって存在そのものを、ぎゅうって抱きとめたくなる(?) 愛おしいなあと、思う。

きっとそれは私にとっては恋愛のこもった王子さまへのものではなくて、どちらかと言えば人の寝顔を見て祈る時のような、母親じみた勝手な慈しみに近いものだと思っていたのだけれど、でも、今は人生でなすくんって存在としていたいのは、選手が最後に称え合うような、友愛みたいな、軽くて優しくてでも眩しい、二人で溶け合うんじゃなくて一人と一人の人間として向かい合ってするような、まさにハグなんだと思う。そんな関係でいたいんだと思う。

 

そう思うとまたすとんと心が楽になって、あんなに一生なんて簡単に言わない!好きはいつか変わる!どんなに好きでも同じ熱量で愛し続けることはできない!好きがなくなるのが怖い!今こんなに好きなのに!って言っていた私が、盲目でも(いや盲目なのだろうけれど)盲信でもなく、爽やかな気持ちでぼんやり思っちゃったりするのだ。なすくんのことずっと好きだなあ。

ずっと一番なんて難しい、人生が交わることなんてない、一つにはなれない、でも一人と一人として、いろんな距離をとりながらも、ずっと並んで生きていきたい。一緒に歩んでいるような気待ちにさせてくれるなすくん。世界を広げてくれるなすくん。

キラキラとした遠い世界で光るなすくんが、現実を淡々と生きる私に、現実世界への逃避でもなくて、未成年アイドルへのやばい没頭でもなくて、20代の貴重な時間を捨てる行為でもなくて、私の世界を私の足で歩くための力を確かにくれた。凄いことだ、凄いことなんだよ。

 

私きっとなすくんのことずっと好きだなあ。なすくんがどういう大人になって、私がどういう人生になっても、なすくんが頑張っているところを見ていたいし、ずっと一緒に、頑張っていたいんだなあ。もしもなすくんがたとえこの先何か大事件や大変化を起こして「こんな人だったの!?」って勝手に(本当に勝手にね)なる日がきたとしても、頑張れをくれたこの毎日は消えないし、嘘なんて一つもない。

心の芯になすくんがくれたものたちを抱えて、私はずっとなすくんと一緒に生きていくんだなあ。だから、きっとこの先もずっとなすくんのことが好きだ。

だからずっと、どうか見えるところで笑っててほしい。この世界で幸せでいてほしい。そう思うことはやっぱり少し祈りに似ている。

 

 

いやーーーそれにしてもなすくんの困り顔めっちゃ好きだなあって日々じわじわと実感していたので道史くんの困り顔、まじで性癖に刺さるー!!!なすくんの表情の演技さいこー!!!ほんと何故その扱いなんだと思いつつなすくんにドッキリしたくなったりなすくんにだけなんか露出が凄い謎のニット着せたくなったりカラシ口に放り込んで逃したくなくなったり目の前であーんした小骨食べてみせたくなる気持ちも分かる〜〜!!!!

なすくんさいこ〜〜!!!!ヤッ!!!!

今年の夏も最高!会える時も会えない時も色んな世界に連れ出してくれてありがとう、いつもいつも最高に楽しくてしあわせだよ!

またね!

またね幻

 

なすくんの18歳の誕生日に月を買った。好きなキャラクターの誕生日にそれをしている人がいて、なんだか素敵だなあと思ったので軽率に真似して、なんとなく月を買った。

コンサートの行き帰りの道が、凄く好きだ。コンサートって開演してるその瞬間だけじゃなくて、移動の時のあの気持ち、聞いていた音楽、ぼんやり見つめた車窓の景色、全部が思い出に残って記憶になって、大切になる、その感じが好き。六本木や日比谷を歩く時はもちろんだし、久しぶりにゆりかもめに乗るといつも胸がキュンとしてしまう。

だから、これからは月を見上げるたびに、18歳になる時の、なすくんが大好きだった気持ちを思い出したかった。ほんのほんのひとかけら、本当は肉眼じゃ見えないくらい小さくても、でも確かにあそこに、あの月に私の「好き」があるのだと思うと、なんだか頑張れる気がした。全部大丈夫な気がした。そう思いたかったから、月の権利が書いた簡単な一枚の紙をぽちりぽちりとスマホで簡単に買った。

これからは現場の帰り道、どんどん大きくなるなすくんを見て胸をいっぱいにしながら、月を見て帰ろう。そんなことを思ってわくわくしていた。

 

はずなんだけど。

まさか思い描いていたクリエ終わりの帰り道も、夏の六本木の帰り道も、歩けなくなってしまうとは思ってなかった。月を買った時の私が思い描いていたのとは大幅に変わった未来がきていた。

早々に仕事が在宅になって、出掛けても朝にウォーキングか昼に買い物くらいになってしまったので、月さえあんまり見ていない。

 

悲しい。くやしい。さみしい。たった一度のなすくんの最初の大学生の春。大好きなアイドルの姿が見られないことはもちろん、凄く尊くて愛おしい学業の面でも通常通りの春では無くなってしまったことが、やっぱり勝手に胸を締め付けられてしまう。4月なんて元々現場のなかった期間なのに、クリエがないと思うと何故か必要以上に寂しく感じてしまった。会いたいなあと思う。何してるのかなあ、とか大丈夫かなあ、なんて思いを馳せてしまう。

もちろん、それでも懸命に発信をしてくれる姿に心が絞られずにはいられない。もう、island TVもつべもブログも無かった世界、思い出せないし生きられないよね。ありがてえありがてえ。嬉しくて、愛おしくて、でも本来ならプライベートであるおうちでの時間までも切り取って提供してくれるその姿を見るとなんだか胸が苦しくもなって、ありがたいけど心配で、もうなんかぜーんぶ勝手なんだけど本当に好きすぎて大切過ぎてあらゆる感情がぶわぶわとぐるぐると回ってしまう。

 

お察しの通りの女なのでなすくんに毎日思いを馳せてるんですが、それでも何故か、なんでだろうねえ。こんなに更新してくれて、まあいわゆる生存確認的なものが全然できていて、むしろ多分本来の4.5月よりも色んな供給を貰ってるかもしれなくても、何故だか「なすくん何してるのかなあ」と何度も思う。会いたいなあって思ってしまう。物凄く思いを馳せてしまう。

多分私は(別に現場以外は価値がない!とかそういう話ではまっったくなくて)ステージの上でキラキラと笑うなすくんを見て、溺れるように眩しく見上げて、祈るように愛しんで、それで「ああなすくんってここにいるんだ」って思って生きているのだと思う。ステージの上で笑ってるなすくんが私にとっての答えで、ぜんぶで、ステージを見上げる時のあの湧き上がる気持ちが私の中の本物で。私の好きはやっぱりあのステージの上にある。星の海で笑うなすくんを見て、熱い心臓にのぼせたように呆けて夜道を歩いて、次の日目覚めてもまだ胸のあたりにジンと残る気持ちの余韻はまるで星のかけらみたいで。それを抱えてまた歩いて。そうやって生きている。

もちろんそれだけじゃなくて、動画に、写真に、何より言葉に、いつもたくさん救われて力を貰っているけれど。でもそれも、そんな言葉をくれたなすくんが、動画やテレビや雑誌でのエピソードを積み重ねたなすくんが、キラキラのステージの上にいるのをペンライト握りしめて見つめる瞬間に全部集結するというか、それでこそ完結するというか、わーん言葉にするの難しい!

まあ簡単にいえば早く会いたい。愛は笑えるほど冷めずにびっくりするほど上限を超えてとめどなく溢れてくるけれど、やっぱり胸の中のキラキラが弾ける瞬間を一番くれるのは、自分の足でドキドキしながら会場に向かって、自分の肺で熱気を吸い込んで、自分の目で星を見上げるあの時間なのだ。ほんとは一瞬だって、ひとかけらだって、見落としたくなんてない。

 

次に会ったときになすくんを見たら、問答無用で泣いてしまうと思う。そう思うのだけれど、最近はそれを通り越して次になすくんを見た時に、知らない人みたいに感じたらどうしようと思うと怖くて仕方がない。いや、別になすくんがアイドルになった瞬間から全通してましたとかそういうわけじゃないし、そもそも私が今知った気になってるなすくんだって結局「私にとってのなすくん」にしか過ぎなくて、夢想に近いものなんだろうけど。ほんとはずっと「知らない人」なんだけど。それでも私なりに、私の気持ちで見つめてきたなすくんがいて、積み重ねた時間が、思い出があって、(正解はさておき)緊張してるなあ、とか楽しそうだなあとかここ柔らかくなったなあとか感じることができる。

 

最近突然別の界隈で数年ぶりに推しと呼びたい人ができて(自粛期間ってすごい)、でもその人のこと、まだ全然知らないので映像を見ても疲れてるのかただの真顔なのか、本心の笑みなのか苦笑なのか全然わからなくて、「あー!なすくんだったら確信を持ってすぐ分かるのに!」と思わず叫んだ。私服での稽古場映像がわちゃわちゃしすぎて推し(仮)が全くみつからず「あー!なすくんだったら秒で見つけられるのにな!!」とも思った。

その時に気付いた。いつの間にか当たり前すぎて忘れていたくらい、気が付けばなすくんのことをたくさん知ってる。「なすくんだったら分かる」がたくさんある。

いやまあ、なすくんのこと、何度も言うように本当は何も知らないんだろうけど(これ、もうこのブログの文の全ての語尾につけてください)

でも、なんとなく分かることがたくさんあるのだ。好きな色も、好きな音楽も、好きそうな映画も「今の先輩の言葉、嬉しかっただろうな」も分かる。まだまだ長くはなくても、そうやって私の中にはなすくんの存在が当たり前に溶けている。それがいつも凄く嬉しくて、愛おしい。

だから、だから。次に見上げた時、双眼鏡を構えた時「あれ?」って思うのが勝手に怖い。分からなかったら、怖い。

 

去年の春と去年の夏のなすくんは違う。だから、きっと私が見た1月のなすくんと、この春のなすくんもほんとは違った。夏のなすくんも、きっと違う。次にやっとこの目で見られるなすくんは、また新しいなすくん。それはとても尊くて眩しくて素晴らしくて嬉しいことでもあるけれど、それを追って見守っていくことと、突然見落としてしまったような気持ちになるのは大きく違う。

去年の夏、ねぇもっとを踊るなすくんの表情を見て「いつの間にこんな表情で踊るようになったの?」と思った。その時だってもちろんちょっとだけ切なくて、でも、なんとなく裏側が、過程が見えてる分、すごく尊くて愛しくなった。

でも、その時と、この次に間を開けて見たなすくんへの「いつの間に」は私にとっては違うのだ。いつの間に大きくなって、いつの間に違う顔で笑って、いつの間に新しいところが増えて。知らない間のそれが怖くて、何より、さみしい。

 

なすくんの、積み重ねてきた努力が、人生が繋がっていく様が好きだ。そんな一瞬だって見逃したくないくらい大切な大切な子の、大切な時間を見つめられないことがさみしい。さみしくて、苦しい。会えない時間だけじゃなくて、この空白のあとに会えた時のことまで考えて怖くなってるの、我ながら物凄く弱くて馬鹿だとは思う。なんて勝手な苦しさなんだろうね。私は生まれた時からずっと弱い。弱いから、自分の「好き」だけが私の抱える強さで、武器で、宝物で、だからこそ、色んなことを恐れてしまう。矛盾〜〜

 

でも、だから、だからこそ今はなすくんが教えてくれる姿を、大切に大切に見つめていたいなあとただただ思っている。たった一度の2020年の春、なすくんは立ち止まっても、阻まれても、失ってもいなくて、たしかに今ここにいる。面白いくらい可愛く、おうち時間の概念が揺らぐほど格好良く、こちらに寄り添おうとしてくれる優しい18歳のなすくんはここにいる。ちゃんとここにいる。それを忘れないようにしたいなあと思う。

見つめていたい。大切にしていたい。本当に、本当に、いつまでも私はこの子のことが可愛くて、大事で大事で仕方がないから。こんな勝手な怖さを、不安を抱いてしまうくらい莫大な好きが、まだ全然消えない星みたいにチカチカ心に灯って私の中にある。そのことを、大切にしてたいなあ。

 

なんて吐き出しながら窓を開けたら細い細い月がそれでも確かにちゃんと夜空にあってなんか泣けた。あそこに私の好きがある。だから大丈夫。大丈夫。

早くコンサートの帰り道を歩きたいな。って既に帰り道のことに思いを馳せてる自分もなんか笑える。

 

なすくん、なすくん、元気でいてね。もうほんと突き詰めると願いはそれだけで、こんなに長く書き連ねたことも結局私が勝手に抱いてやがて勝手に解消するものにすぎなくて、とにかく笑って、元気で、楽しく過ごしてほしい。そればっかり。結局これに尽きる。

今日もなすくんが笑ってるといいなあ。

酸っぱいドレッシングをぐるぐる混ぜながらそんなことばかり考えて、そうして季節がいつの間にか変わって、クリエで着るはずだった長袖のワンピースを飛び越えて、「まだ早いけどこれは夏に着て行こう」って衝動買いしていた半袖のワンピースを着て過ごしている。行き場がなくてもワンピースはかわいい。でもやっぱりちょっと苦しい。

 

きみは光の国にうまれたよ

 

なすくんはかわいい。すっごく、すごくかわいい。もちろんなすくんの容姿を見た時に「可愛い」か「格好いい」かで言えばなすくんはとてつもなく格好良くて、男前という言葉が良く似合って、中身も熱くて真っ直ぐで、とっても男の子らしい男の子だと思う。現に私もなすくんのことをこんなにも(私の世界のレベルでね)熱心に熱心にそりゃもう見つめ続けているつもりなのに、突然爆撃されたように「え!?か、かっこいいな!?!?」と何度も打ちのめされてしまう。何度でも改めてびっくりする。かっこよすぎて。なすくんはかっこいい。努力する生き様から端正な顔立ちから表情まで何もかもかっこいい。

 

でも多分、那須担のほとんどはなすくんのことを可愛いと思っているんじゃないでしょうか。(私調べの完全な偏見です)

私にとってなすくんはかわいくて、かわいくって仕方がない。それはやっぱり愛おしいの、慈しみたいの、そんな「かわいい」なのだけれど、結構本気で容姿的にも可愛いと余裕で思っている。

 

サラサラの髪の毛、可愛い。頭の形、かわいい。少し垂れ目がちな目、可愛い。ぽてんとした唇もほくろもえくぼもチューリップ型の歯もかわいい。綺麗だけどふにっとした手も可愛い。

くしゃりと笑う時も、大口開けて笑うときの眉毛も、先輩を見つめる時のきゅるるん!!とした期待の目も、手を口元に添えがちな仕草も、案外内向きな腕や脚の角度も、負けず嫌いで熱いけれど優しい価値観も、全部可愛い。あの超ハイスペックな雰囲気の顔から繰り出される甘く転がるような声も可愛い。青い金平糖のような甘い声。動物にも雪だるまにもさん付けするところ、謎の擬音、茄子の描き方にナスアピール、ゲームに勝つと無邪気に喜んではしゃぐ姿、褒めてぇ〜って伸びる語尾、猫ちゃんへのにゃおんにゃおん。あーかわいい。

ピン留めした時のハイパー美少女加減に、なすくんってどんどんハンサムになるのかと思っていたけれど(もちろんなってる)こんなに綺麗になるなんて予想していなかった!なんてびっくりしてまた心が震えたし、舞台のなすくんはぷるぷるのピンクの唇でそりゃもう倒れ込みそうなくらいに可愛い。

可愛い。可愛い。あー!!かわいい!

もう本当に私はこの子のことが可愛くて可愛くて日々胸をぎゅううっと鷲掴みされている。

 

そしてやっぱり、それだけじゃなくて、愛くるしくて、愛おしくて、大切でたまらない「かわいい」。大事に大事に心にしまっておきたい、守りたいの、かわいい。

優しくて柔らかなものしかない世界にしまいこみたいくらい可愛くて、でもどこまでもどこまでも羽ばたいてほしいくらい大切で。結局私にできることなんて本当に些細で何もないとも言えるレベルなのだけれど、それでも何かしたい、この笑顔をどうにか守りたいなんておこがましくも祈り続けずにはいられないくらい、かわいくてしょうがないのだ。

気が付けばどんどんなすくんは格好良くなって、最近なんてふとした瞬間や雑誌のショットを見るたびに「ああ〜!!これは18歳になる顔だ!!男の子だ!!!」なんて震えてしまうけれど、それでも変わらずずっと、私にとってなすくんは可愛い。多分これからもずっと私はこの子のことが可愛くて、変わっていくきらめきに魅了されながら、変わらない仕草や瞳や癖を見つける度に愛おしくてたまらなくなるんだろう。

 

なすくんの生きてる世界。たくさんのものを吸収して、背負って、次のステージを目指して突き進んでいく世界。

憧れの人に「死ぬ気でやれ」と言われた通りの日々を、なすくんは本当にきちんと真っ直ぐにやり通したと勝手に思う。

私は舞台の上のなすくんしか知らなくて、それだって見きれていないくらいで、なすくんは努力を教えてくれる方だとは思うけれどそれでも、私は結局なすくんが毎朝起きて勉強をする時間を、きっと疲れているだろう身体で通学する時間を、授業をたたき込む時間を、急いで移動する電車時間を、レッスンや仕事に励む時間を、夜の帰り道を、知らない。辛いことだって苦しいことだってあるだろう。当たり前だ。当たり前だけれど、きっと一生実感なんてできない(し知った気持ちになっちゃいけない)、なすくんの背負っているもの。それでも、舞台の上のなすくんはいつも笑顔で、いろんな表情を見せてくれて、いつだって光っていた。きついだろうに、頑張っていることを言うことはあれど苦しい言葉は吐かずに、むしろ一緒に頑張ろうねって、そう何度も応援してくれた。とてつもなく、アイドルだった。そういうところが、なすくんはずっと、昔も今もずっと、アイドルだと思う。まだまだ光る無限の可能性があるけれど、どんどん格好良くなるけれど、でも、昔からずっとスーパーキラキラアイドル。たくさん応援してくれる、頑張る力をくれる、星。

だから私は大声で言いたい。なすくんはアイドルが天職!!!今日もここにいてくれることが何よりも嬉しい!!

 

だから、そんななすくんが初日に涙をこぼした時、一瞬胸が締め付けられて止まらなくなった。

私はなすくんの強さを、努力を、前を向く心を大切にしたいから、あんまり無理に涙を見てはいけないような気がしていた。笑ってしまうくらいモンペというか心が弱いので、本人の意思ならともかく、カメラや演出によって辛さを無理矢理露呈させてほしくなかった。隠したいと本人が思うのなら隠してあげたかった。辛さや悔しさより努力した姿を大切にしたいのなら、裏側を無理に探らずに、なすくんが見せたいと思う姿を見ていたかった。空を見てありがとうと言う姿が、悲しそうでも切なげでもなく晴れやかで優しかったことが、私にとっては答えだったから。

その代わり涙を流すときはメンバーが側にいるといいな、辛い時は先輩に相談できていたらいいな、と勝手に祈っていた。

それでも、悲しいでも寂しいでもなくて「嬉しかった」と言って泣いたなすくんは、決して俯き続けることなく、前を向いていて。客席の間をきちんと堂々と歩いて、次に出てきた時には、星のようにキラキラと笑っていた。涙に溺れる姿じゃなかった。真っ直ぐ前を見つめる瞳に、ステージライトが反射する。まるで光のはしごに照らされているみたいだった。

なすくんは、涙を見せたって強くて、眩しくて、私が勝手に心配することなんて何もなかったくらい、真っ直ぐ前を向いて立っていたのだ。きちんと足を舞台の上につけて、息をしていた。なすくんはなすくん。何も損なわれることなく、泣いても笑っても光るアイドルだった。

なすくんは本当に、本当に格好良くて、そして愛しくて愛しくて、心の底からかわいい。かわいくて、大切でたまらない心があたたかく満ちていく。今の私の幸せを形にしたら、やっぱりなすくんになるんだと思う。

 

18歳だと思うと、なんかもうよく分からない気持ちがざぶんざぶん襲ってきて、ふとした瞬間に泣けてしまうくらいだ(大丈夫?)

愛しい時間が積み重なっていくことが嬉しくて、未来のなすくんも大好きで、でも、大切すぎてちょっとだけ寂しい。それもこれもなすくんのことが可愛いのだからしょうがない。

18歳。確実に一歩新しい世界に近付いて、子どもの羽が変わり始めて、でもまだ守るべき柔らかさがある、そんな年齢。どんどん魅力的な大人になるなすくんの歩む道を少しでも見つめていたい、取り漏らしたくないし何度でも噛みしめたい、見逃したくない。そう思う私の気持ちと、めまぐるしく過ぎていく時間の速さが釣り合ってなさすぎて戸惑ってしまう。もっともっと見ていたいし、何度でも、昔のなすくんに会いたくなる。それでも、こんなことを言いながらもやっぱり私はなすくんの未来になによりも夢を見ていて、時間を止めるか歩む道を見守るかだったら、迷ったって後者を選ぶ。

大事に、大事にしていたいなあ。なすくんのことも、なすくんを好きな気持ちも、そうして生きるこの時間も、大切で仕方がないから。

 

なすくん、なすくん。かわいいなすくん。大好きななすくん。お誕生日おめでとう。

楽しいこと、いっぱいありますように。叶えたい夢がどんどん叶いますように。立ちたい舞台に立てますように。その瞳に綺麗な景色がたくさん、たくさんうつりますように。星のようななすくんに、青いペンライトが少しでも、星みたいにたくさんキラキラ灯って見えますように。

美味しいものをたくさん食べて、学びたいことが学べて、新しい素敵な友達に守られて、一緒にいたい人と過ごしたい時間を過ごせますように。小さな小さな幸せが降り積もりますように。もう初詣に行っても、七夕でも、私がする願いはそれしかない。なすくんが元気で、幸せでありますように。雨の日も風の日も笑っていられますように。やさしいものに囲まれていますように。

そしてできることなら、その幸せがステージの上にありますように。スーパーキラキラアイドルとして、たくさん光を浴びるその姿を、見守っていられますように。

ずっと、ずっと、見つめていたい。その頑張りに救われたいし生き様を尊敬したいし可愛くて可愛くて仕方がなくてどうしようもなく胸をぎゅうってしていたい。

 

あー!17歳のなすくんも大好きだったなあ!初めてのソロも、クイズ番組に真摯に答える姿も、ラジオの柔らかな声も、アメリカで木漏れ日を光らせた姿も、茶髪も、ピン留めも全部愛おしい思い出ばかりで、「あー!なすくんを好きになって良かった!」と思い続けた。

18歳のなすくんは、どんな世界を見るんだろう。そして、それらを吸収して、努力して、どんな姿にして見せてくれるんだろう。考えるだけで楽しみで、愛しくて、何故だかまた泣きそうになってしまう。

悔しさでも悲しみでも恐怖でもなくて、大切すぎて何故だか涙がじんわりと滲むなんてこと、ずっと私は知らなかった。きっとそうして締め付けられるところに心があって、この波に溺れるように溢れてくるあったかいものが愛なんだろう。

 

だから、今日も私は信じる。

一生懸命やれば報われるし、歩んだ道はきちんと実を結ぶし、涙も何もかも強く光る。なすくんが笑うならアイドルの世界は辛いことばかりじゃなくて素敵なことで溢れているし、ステージはキラキラして楽しいことで満ちている。きっとここは光の国。

 

ほんとにほんとにおめでとう、たくさんたくさんありがとう。

なすくんがいてくれて、この世界で生きていてくれて、今日も嬉しい。すっごく、すっごく、うれしい。結局そればかりだ。

私はこの子がとてつもなく、かわいい。

かわいくってしょうがない!

 

こんなところにいたの

 

優しい音楽が鳴って、上手の袖からなすくんが出てくる。柔らかな顔で手を振って、呼吸がしやすそうにうーんと伸びをして、ゆったり歩いてくる。生真面目に手足を伸ばしていた舞台の上を心地好さそうに泳いで、後輩と手を繋いで、昔自分がやっていたみたいに、たくさんの小さな手のひらにキラキラと囲われながら真ん中で笑う。

歌声も、表情も、柔らかな光みたいな演出の空気も全部、全部が優しくて、ああこの中にわたしの好きななすくんが全部詰まってる、なんて心の底から滲み出るように思う。スクリーンいっぱいに映る笑顔に、「固くて怖そう」なんて影は微塵もない。優しくて、優しくてたまらなくて、そうだよあのねなすくんって物凄くやさしいんだよ!なんて思いながら、祈るように一緒に笑みが零れる。ずっと笑っていてほしい。この優しい世界で息をしてほしい。雨の日だって風の日だってずっとずっと、このまま笑って、もっと笑ってほしい。この子が笑ってればきっと何もかも大丈夫、わたしの世界は大丈夫。切なくなるくらいの多幸感。星を見上げる首の角度はやっぱり好きな人を見つめる時に似ている。

 

あ、このままもっとの話です(亡霊)

 

なすくんを好きになって良かった!ってまた湧き出るように愛おしく実感したし、私のなすくんへの気持ちを具現化したらやっぱり「このままもっと」のなすくんになるんだと思う。

 

ドームにアメリカ、染色に初個人仕事、お察しの通り夏のブログを完全に書き逃して気が付けばまた大好きな冬がやってきたわけなんですけど、今年一年もとってもめまぐるしくて、去年だって一昨年だってそう思った気がするのに、驚くくらい色んな初めてがつまった一年だった。なすくんは本当に、どんどん前に進んでいく。どんどんその足に力をつけて、強い瞳を見せてくれる。会う度に輝きが、強さが増している。これって本当に凄いことだと思う。

好きになった時、なすくんは高校生になって、新しい生活を精一杯頑張っていたところだった。そんななすくんももう大学生になるわけで。なんか凄い、ほんっと凄い。なんてあっという間で、でも大きな三年だったんだろう。それに比べ私の三年よ。と比べても何にもならないけどたまに思わなくもない。

 

でも、私だってこの三年、やっぱり思い返せばなすくんに支えられて、たくさんなすくんのおかげで頑張れてきた思い出がたくさんある。公演前後のあの胸の高まりや、涙を抑えて帰った道だけじゃない。厄年だったのか単に歳が重なって任されることが増えたのかその割に仕事が出来なすぎるからか分からないけれど、今年は特に、仕事をしながらなすくんを思った。給湯室で思わず涙をこぼしながら「なすくんみたいになりたい」と思った。湯船でぼんやり明日のことを思うとぐるぐるお腹の底の方が痛くて、でも、仕事を頑張る私はかっこいいって言い聞かせた。辛いタイミングで(お気付きの通りタイミングというか年がら年中勝手に辛がってる)なすくんがブログでくれる言葉に、何度も支えられた。そ〜うブログ!ブログができてくれたのが本当に大きくて、8/8の心をまだうまく形にできないけれど、それでも6人がそれぞれの愛おしさを放つ文章が大好きで、月曜と金曜、私の日常にまたキラキラの星マークがぺたりと貼られたような、そんな気持ちになった。ご褒美シール。

 

私の中にずっとなすくんの言葉があって、かっこいい私でいたいなって、いつもそう思う。私にとって「好き」っていうのは逃避になることが多くて、いや今も全然結局逃避なんだろうけど、でも思い返せばなすくんを支えに頑張ることで、私はいつも前を向いていた。次の日顔を上げて、反省して、仕事に向かっていた。なすくんに逃げて放り出したりしなかった。まさになすくんの「おかげ」が溢れている日々で、それは私がなすくんを好きになる時に「なすくんのためって思わない、なすくんのおかげって思ってオタクをしよう…」って自戒として唱えたことで、でもそんな意識をしなくても(まあ揺れる時もそう思っちゃう時も普通にあったけど!)自然に「なすくんのおかげ」で前が向けたことがたくさんあるの、ほんとに、ほんっとうに、なすくんって凄い。なすくんが凄すぎる。

私は今もやっぱり、一生懸命やればきっと報われるし、全力で努力したことはどんな形でも自分の実を結んでくれると信じている。信じられている。

 

やっぱり大好きだから、ずっと好きでいたいな、と思う。こんな日々が続けばいいな。

でもやっぱり大人になればなるほど、このままでいいのかなとも思う。自分の生活をもっと生きなきゃなって。自分の生活って何だよって感じだけど。別に結婚して子どもを産むことが、仕事を続けて自立して生きることが全てだとは思わないけれど、それでももっと私は「きちんと」生きた方が良いんじゃないかなんて、そんな答えのないぼんやりとした不安が巣食うことがある。20代半ばになった今年、もう、物凄く、あ〜なるほどこういうことか、と実感した。周りが目まぐるしく変わっていく。予想はしてたけど実際にくると違った。私も変わるべきだなんて、そんなことを思わずにはいられないくらい。別にこのままでいること、何も悪いことではないんだけどね。多分数年後には「折角の自由な華の20代のこんな悩み可愛いもんだったわ!」とか言ってそうだしね。

 

いつまで好きでいられるんだろう、そんなまた考えてもしょうがないことを何度も思っては結局心が何度もこの子の元に向かう。その繰り返し。わたしは今日も結局キラキラのなすくんを見つめるためにフカフカの赤い椅子に腰掛けている。こんなにもこんなにも愛しくて泣けること、恋ではない涙を他人に流せること、知らなかった。それもいつまで向かうんだろうなんて、思ったりする。

 

私の好きはたしかに前向きで、多分なすくんがいなかったら別に破滅も自殺も何もしてないもののなすくんのおかげで彩られた幸せがたくさんあるけれど、それでもいつかすとんと終わりはくる。それを悲しいことに私は知ってるし、お金をかけて、時間を費やして、特大の「好き」だけを抱えて生きて、でもそれも溶けてなくなったその時、わたしに何が残るのかなあ、なんてナンセンスすぎることも考える。いやーほんっと、何の生産性もない悩み。

 

でも、今年読んだ本の中で、死別した友人を思う女の子の話があった。痛くて苦しくて、でも時間とともに忘れていくことも怖くて嫌で、変わりたくなくて、でもふと当たり前だと思っていた自分の考え方の癖が、始まりはその子がくれた言葉だったことを思い出して、思わず言うのだ。自分の胸を抑えて「こんなところにいたの」って。その瞬間、その言葉がすごくすごく胸を貫いて、それ以来何度か唱えたくなってしまう。

こんなところにいたの。こんなところにいたの。

 

なすくんを好きでいた時間。まだたったもうすぐ3年のこの時間だけれど、気が付けば3年とも言えて。気が付いたらなすくんは大学生になる。当たり前のようにそばにいるこの「好き」がない生活を私はもう想像することができないし、「好き」がなくなったその時わたしは何を支えに仕事ができるんだろうなんて弱いことも考える。でも、もし。いつかもし、全く違う好きを抱えて、なすくんのことを好きだった毎日なんて思い出せないくらい、好きじゃないことが「当たり前」になった日が来ても。

ふとした時に、思い出してみたい。

 

気付けば当たり前になった、財布の中を綺麗にする癖。真似していたらいつの間にか意識しなくても「姿勢綺麗だよね」って言われることが増えた背筋。(毎日とはいかなくても)気分転換にするようになったパック。レパートリーがやけに増えた茄子料理。泣きそうになっても悔しいなら前に進みたいと思うようになった闘争心じみたもの。頑張りたい時に心の中で「よいしょー!」って唱えて立ち上がった思い出。何かやらなくちゃいけないことができた時に、夜型だったのに気が付けば「朝早く起きてみよう」って思うようになった気持ち。早起きが好きになったこと。今まで感じたこともなかった季節の空気。周りを見ると確かに気温が、景色が、匂いが違うことに二十数年生きてやっと気付いて、世界が広がったような気がしたこと。心が詰まった時ほどそうして周りを見ると、心もなんだか少し落ち着いて、また頑張ろうと思えるって知ったこと。

きっかけは浅ましいくらいに「なすくんもやってるなら!担タレになりたい(ハートマーク)」な真似だったものたちが、なすくんのおかげだって忘れるくらい、気が付けば自分の癖になった。多分、書いてないだけでもっとたくさんあるだろう、そんなものたち。

今よりもっと大人になって、結婚するかもしれないし子どもがこの世でいちばんの宝物になるかもしれないしもっと推せるものを見つけるかもしれないし一人で歩けるようになってるかもしれない、そんな未来で、ふと思い出したい。あ、そうか、これなすくんがくれた癖だったって思いたい。懐かしく思い出して、なすくんを好きで好きでたまらない今の私に再会したい。

いつかなすくんのことをこんなに精神注いで追わなくても、本屋を歩けばテレビ誌の表紙になすくんがいて、渋谷を歩いてふと見上げた大画面になすくんがいて、ああ大きくなったなあなんて思いながら、ふいに救われたい。離れたって見えずにはいられないくらい、大きく大きくなって欲しい。

そして、あー私そうだめちゃくちゃになすくんのこと好きだったな、って思いたい。

懐かしさと愛おしさに思わずくすくす笑っちゃったりなんかしながら、「こんなところにいたの」って言いたい。何度でも何度でもそうやって私の中で出会いたい。

好きを少しでも多く、そうして私の中に溶かしていきたい。それが今の私の夢だ。

そう思うと、変わっていく環境の中、変わらずに好きでいることも、気持ちが揺らいで変わっていくことも、怖くなくなるような気がする。

無駄なものなんて一つもないって、なすくんが教えてくれたから、私は今日も私なりに自信を持って生きていける。世界を信じていられる。だってなすくんが楽しいって笑ってくれるから!

 

今年も楽しかったなあ。こんなよくわからない長い長いことを書きながら、とにかくやっぱり今年もなすくんのことが大好きで、何度も何度も「わたしの本物だ」と見惚れるように思った。

かっこよくて、強くて、優しくて、かわいくてかわいくて愛おしくて仕方がない子。

先のことはわからなくても、明日もなすくんのことがきっと好きで、来年のなすくんにまた私はたくさん力を貰うんだろう。

 

あーーーー令和を羽ばたけ美 少年!

たくさん考えて、思いをきちんと背負おうとする彼らの歩む道に、私も勝手に一緒に夢を見て、これからも希望を貰うんだろう。

それってとってもアイドルだ。スーパーキラキラアイドルだね。愛おしいね。