井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

星つぶひとつ

 

小さな頃から生活のすぐそばにアイドルがいた。家族と乗る車の中でも、小学校の教室でも、常に流れていたアイドルソング。アイドルって存在が好きだった。顔の良いお兄さんお姉さんが、この世は全部幸せみたいな顔、もしくはこの世に幸せがなかろうとそんなの全部蹴っ飛ばして変えてやるみたいな強さを見せて、笑っている。いいやそんなことまでは考えていなかった。単純に楽しくなれる、キラキラした世界が、曲が好きだった。アイドルは幼い私にとって確かに「生活の端に何気なく存在する娯楽」だった。

けれど大きくなって、いわゆる「オタク」と言えるくらいに好きなものができた学生時代、私の好きな人は舞台の上にいたものの私たちはお行儀よくハンカチや双眼鏡を膝においていたし、私のよく行くコンサート(ライブ)は自分の掌のみを突き上げるものが多かった。だから、久しぶりに誘われてアイドルのコンサートってものに行った時、暗くなった瞬間、人間の集合だったものが光の渦になったことにびっくりしたのを覚えている。光の眩しさに、歓声と同時に心の中で「わっ」と思った。光、光、光。

星の坩堝みたいなその真ん中で、それでも眩しさを奪われることなく、より一層輝いて。

透明なはずの空気を切り裂くような期待の歓声を浴びて、それでも決して突き刺されることなく完璧に輝く、アイドルが笑っていた。私はそのとき、アイドルは星なのだと知った。

 

「そんなにお金を心を人生を費やしても大事な時に推しは助けてくれないんだよ」

「あなたの人生に責任取ってくれないんだよ」

 

たくさん言われてきた言葉だ。恋をしていた頃は、それにプラスして「いくら貢いでもどうせそのお金で女と会ってるからね」と釘をさすようによく言われた。冷たく聞こえるそれは確かに正論で、まあ実際に気を付けられているかは別として、私は昔から一応自戒として刻んでいる。私と、彼、彼らは、他人にしか過ぎない。私がこんなにお金をかけることも、そのために生活の何かを犠牲にすることも、全ては自己満足にしか過ぎなくて、そこに見返りを求めることも身勝手に過ぎない。結局私一人がいなくなったところで大切な人の人生は進んでいくし、彼らの輝きもその土台も何も失われたり損なわれたりなんかしない。私は顔の見えない星つぶひとつ。いいや星にさえなれていないかもしれない、小さな電球ひとつ。それを刻みながら、それでもそれが、いつも凄く悲しかった。正直寂しかった。宇宙から見たら小さな豆電球にしか過ぎないそれが、私にとっては宝物の気持ちだったから。切実な心臓だったから。

こんなに私の人生を彩っているのに、どれだけ握手をしても、最前列で見上げても、遠い。

他人に過ぎない。他人の人生。それなら私のこの好きって、なんなんだろう?

 

だから、新しくなすくんを『好き』になったとき、私は大事なことを決めた。健やかオタ活第1条。生活をなすくんの「ため」にしないこと。なすくんの「おかげ」で仕事を頑張れる、なすくんのおかげで使ったことのないものにも新しくお金を使いたくなる、なすくんのおかげで明日も楽しい。

まあこんなの言葉の選びようによる気持ちの違いでしかないけれど、でも、なすくんのためにできることなんて(たとえRTだろうと大賞投票だろうと要望投書だろうと)ささいなことしかなくて、もちろんできることは大好きだから頑張りたいけれど、とにかく悲し〜くなるくらい私は無力で、だから、勝手に「なすくんの“ため”!」って空回って、勝手に「なすくんの“せい”で…」なんてならないように先回りで自衛した。

歳をとってしまった分、好きの感情に飛び込む前に、先に好きが薄れたり汚れたりする要素を恐れた。きちんとガードを固めてから、慎重に好きの海に身を沈めようとしたわけだ。これって良い言い方をすれば経験による知恵だしまあ率直に言えば加齢による無駄な臆病さである。

 

まあ、なーんて思いながら、勝手にもっとなすくんに会いたくて仕事を増やして、大嫌いな飲み会を朝までにこにこにこにこして、その結果疲れて一公演入るのをやめたその時のレポを読みながら一瞬「なすくんのために働いたのに、結局それで会えないって本末転倒じゃん」なんて思ってしまって「なすくんのためじゃないじゃん、私今なすくんのために働いたのにって勝手に落胆しようとしてた?」って気付いてぼろぼろ泣きだすという驚きの情緒を見せたのが近況なんですけど…(だめだめ人間)(そのタイミングで二番がきて救われたのでもう元気です)(なすくんは星)

 

とにもかくにも、なすくんのおかげで楽しく頑張れている(はず!の)私だけれど、ここ最近仕事がとてつもなく辛い。上には上がいるし、こんなの職種にも立ち位置にもよるので辛い自慢とかはするつもりないけれど、いやむしろ本当に私働いてる人みんなえらいみんな素敵、頑張る人間はみんな愛しくてかわいいです…

私は人間性にも、外見にも、才能にも何も自信がなくて、だから、いつも私の「好き」だけが私の強さで、大切な大切な誰にも汚されたくない宝物で。だからこそ、結局それが他人でしかないことがいつも凄く寂しくて。

でも、この間気持ちがぷつんと途切れてトイレで泣いてしまって(ブラック企業とかそういう話ではなくて単純に私のメンタルの弱さです)、あーーもう私ってなんなんだろう仕事もできないし不甲斐ないし何の頼りにもならないし才能も努力も足りないこんな人間でいることが恥ずかしいよ親にも友人にも先輩後輩にも申し訳ないくらい悲しい、って心がぺしゃんこになって。

でも、そんな時、なすくんのことを無意識に脳裏に浮かべて、なすくんは私の世界の中では(真ん中にはいるけれど!)とてつもなく他人なので、そこに何故だかとてつもなく安心した。私がどうなろうと私の何が損なわれようとなすくんは知らないところで輝いて、スーパーキラキラアイドルでいてくれる。私の好きななすくんは今日もきっと世界一かっこいい。他人の人生。私の関係ないところで、なすくんはずっと輝いている。何一つ欠けることない星。それが前は寂しかったのに、生まれて初めて安心したのだ。

 

「全て失くしてもなくならないものを 見つけたんだ」

 

私はなすくんにずっとブルージャスミンを歌ってほしい女なんですけど(?)、その歌詞を借りるなら、まさにそういうことなのだと思う。

私がこの先どうなろうと、地獄のような人生を生きようと、不幸のどん底に落とされようと、なすくんがステージの上で笑っていてくれたら、輝いていてくれたら。それってなんだか凄く救われる気がする。大丈夫な、気がする。

これは結局何の解決にもならない転嫁で、ただの逃避なんだろう。だけど、なすくんはいつだって輝いていてくれる、それは信頼がないと生まれなかった安心感でもあって、その信頼はきっと私がなすくんを大好きになってからずっと私なりに見てきた時間が作ったものだった。

私がどうなろうと何をしようとなすくんは最高で、そして私はなすくんが大好きで、それなら、それなら。私ももうなんだってやって良いんじゃないか。ボロボロになったってぺしゃんこになったって、好きな道選んで好きなことして全部無駄になっちゃったって、良いじゃないか。だって私がどれだけ潰れても、私に関係なくなすくんはずっとキラキラしている。だから私はきっと空っぽにならない。全て失くしてもなくならない。なら、きっと大丈夫。もっと頑張れる。そう思えた。

 

朝まで仕事で飲んだ帰り道、早朝の六本木を歩きながらexシアターに目を向ける瞬間が結構好きだ。意味もなく死にたくなる重たい頭の朝の中で、意味もなく泣きたくなる。周りの人は誰も気付かず素通りしていく、空っぽの建物。それが私にとっては宝物であることの、どこか秘密めいた、優越感さえある不思議な愛おしさ。そんなささいな瞬間ひとつひとつが積み重なって、私を救っている。

その朝の六本木になすくんはいないけど、私の心には確かになすくんが住んでいて、というかそもそも私のそばにいつだってなすくんはいないけど、でも今の私の人生はいつだってなすくんの笑い声が響いている。だから今日も頑張れる。不甲斐ない私は好きを燃料にずっと生きている。

星の王子さまの5億の星と一緒だ。どこかに王子さまがいるから、見上げる星が全部笑って見える。全部が愛しく見える。

いつのまにかこんなに、「娯楽」を超えて「宗教」になってしまった。ははは。

 

気持ちは常に動いていくのでこの先の私のことは知らないけれど、今はなすくんの、この6人のキラキラがつくる宇宙の、星のひとつに埋もれられることがとても嬉しい。私がいてもいなくても何も変わらなくて良い。他人で良い。そんなことは分かっているし、それでも私は今日も青いペンライトを灯して私の星に会いにいく。いつか別の好きを見つけても、この場所から遠く離れても、ふと見上げたテレビの大画面になすくんがうつっていて、私がどうなろうと変わることないその輝きに胸の奥をほっとあたためたい。懐かしい愛おしさに安心したい。ずっとずっと笑っていてほしい。あの気持ちの良い笑い声を響かせていてほしい、優しい目を緩ませていてほしい。そんな未来を勝手に、勝手に願っている。

 

あーー、同じ時代に生きられて良かった。

この世にはなすくんを知ってる人間となすくんを知らない人間の二種類しかいないのだと思うと本当にちっぽけだし、なすくんはどんどんアイドルとして輝いていくけどまあ世界全人類規模で考えたらなすくんを知ってる人の方が少ないのは確かだろうからそう思うと私、めちゃめちゃ選ばれし人類だ。スーパーラッキー。うれしすぎるね。