井戸が眠る

なすくんが笑ってるから今日も五億の星が笑って見える

きみはかわいい15歳

 

星を見上げる時の首の角度は会えない人を思う時の角度に似ている。昔好きだった本がそう言っていた。首の痛みは心の痛み。
それを読んでいた頃の私はまだ中学生で、ああなるほどな、なんて思いながら夢を見るようにステージを見上げていた。
私は笑ってしまうくらいのリアコ体質のオタクだった。
リアコを脱した(のでは?と思っている)今も変わらず、キラキラ輝く舞台を見る時の気持ちは祈る気持ちに似ている。身勝手で、でもどこか無償で、とにかく宗教的な、自分ではどうしようもできない心の揺らぎ。
それでもあの時と今の祈りは少しだけ違う。

悲しいくらいに夢見がちなあの時の私はいつでも、いつでも願っていた。「熱のこもった視線で見つめる」とはまさにああいうことなのだと思う。
私を見て、私を見つけて、他の誰も見ないで、私を選んで。
若いからという免罪符で許してほしいけれど、私は本気で彼の全てを手に入れたいと思っていたし、私にとって「推すこと」=「恋すること」だった。熱量は恋の熱。もしも神様が現れて、願いを一つだけ叶えてくれるのなら即答で彼が私を好きになってくれますようにと大声で言っただろう。そのステージなんて失っても良いから!


ステージで輝く姿が大好きでたまらなかったけれど、夢を語る瞳は眩しかったけれど、守ってあげたいと思っていたけれど、でももし私のものになってくれるのなら同じところまで落ちてくれて全然構わなかった。手紙ではありきたりに夢を応援するファンでいながら、この人が地の果てまでいつか落ちたら、最後のファンになれるんだなんてことを思っていた。

私は根暗とメンヘラのハーフなので、本当に精神がやばい時はもし彼が大事故にあってこの端正な顔がぐちゃぐちゃになって彼を好きな人みんな彼を見捨てたら、私が迎えにいくんだなんて本気で思う日もあった(本当にごめんなさい)

そんなこんなで私は恋(というか妄執)をべたべたに塗りたくった心を持って生きていて、それは苦しくて辛くてみじめにもなるけれど確かにめちゃくちゃ気持ちの良いものだった。ステキな陶酔の道具だった。彼のために生きている!そう思って生きることはとても難しいようで実際楽な生き方だった。
その後彼氏ができてオタ卒したり、別れてオタクに戻ったり、またリアルで好きな人ができてオタ卒したり、そんな繰り返しだった(これは分かってくれる人もいる気がする)

弁明しておくと私はアーバンギャルドとか聞きまくりながら脳内でメンヘラを分泌するだけの弱い女だったので現実ではやばい行いはしていないし普通の人に恋をしている時はただの普通の女だった。はず。

本当に行動力や執着力があればなんとかその道筋を探すはずだがそれもせず、要するに私は特に何もせずにお金も出さずに教室の机に寝そべりながら「あ〜山田涼介と結婚した〜い!」だとか「福士蒼汰と付き合いた〜い」だとか大声で叫びごろごろする女子高生となんら変わりない若いオタクだった。

 

大人(?)になった今、私の好きな子がステージで笑う姿を、湧き出る愛おしさに胸を震わせながら、私は祈るような気持ちで見つめている。
彼が幸せになれますように。夢を叶えられますように。そして願っても良いのなら、少しでも彼の歩く道が緩やかで茨のない、優しいものでありますように。
典型的な夢見るオタクだった割には「記念日♡」とかにはスペシャル疎いので、いつからこの子のことが好きなのか?と言われたらちょっと具体的には思い出せない。


可愛いな、と思って見ていた子を、幕が上がってから、映像が映ってから、反射的に開始0.5秒で目で探すようになった時に「あ、私この子が一番なんだ」と他人事のように思った。結局オタクは本能。


自分の加齢による自然な流れなのか、彼との年齢差なのか、それとも彼が特別な立ち位置にいるのか、そんなことは未だに本気でよく分からないけれど、とにかくその気持ちが今までのような恋ではないことが自分でも分かって、少しだけ嬉しかった。穏やかにオタクでいられる気がした。ガチな恋なんてしていない、これが正しいことのような気がして安心した。
ま、結局オタクでいることに穏やかなんてものはなかったんですけど。そりゃそうだ。しかも彼はめまぐるしい荒波に乗る一番前の船にいるような人だった。推されることと矢面に立たされることは紙一重だと知った。

 

そんな心の変化は私の中でしか分からないものだし、なんか「マシ」になったような気がしているのは私だけで、まあ世間的に見れば歳の近いアイドルにリアコしてる良い歳の女と、n歳離れた未成年15歳の男の子を恋を超えた気持ちで愛おしく応援しています!だったらやばさは後者…いや…どっちもやばいか…そうか…ごめん……
好きになって後悔した日なんてないけれどどんどん職場や初対面の人に言えなくなっていくの、もう私の語彙力じゃ足りない気持ちでなんかとりあえず「ははっっ」ってなるよね!
ほんとは声を大にして言いたい。このたった15歳の男の子がどれだけ愛おしくてどんなに素敵な男の子か!どんなに、どんなに素晴らしいか!

 

なんてことをつらつら言ってしまったけれど今私は彼を見ているのがとても楽しいし彼が夢に向かって歩く様を見ていると心がきらきらと輝いていく。楽しい。すごく楽しい。
今もし神様が現れて願いを一つだけ叶えてくれるなら、私はきっと即答する。彼の夢が叶いますように!
結局リアコなんてものはよく分からないもので、私は日々哲学しながら「いや実際ほんとはすきなんじゃないの?」「無理やり違うって思ってるだけ?」「もし私が若かったら恋してた?」とかぐるぐるぐーるぐる考えるけれど、でも結局この気持ちが答えなのだと思う。
落ちてこなくて良い。どこまでも羽ばたいて。
私はそれを見つめて生きていきたい。

その真面目さが仇になる日が来たって、前に立つことでその未熟さを糾弾されたって、頑張っていることを甘えだと言われたって、かつての私のような、いやそれより重く深い気持ちたちが足を掴んで引きずり降ろそうとしてきたって、私は彼にそこにいてほしい。
アイドルじゃなくても彼は生きていけるだろう。アイドルになるために生まれてきたかは、まだ分からない。それはきっとこれから彼自身が探して証明していく、そんな人。でも、アイドルでいて欲しいと、その道を選んでくれてありがとうと、言わずにはいられない輝く人。
彼が、那須雄登くんがアイドルでいてくれて私は本当に嬉しい。

 

リアコを終えた先に何があるのか、あの頃の私は知らなかった。こんな風になる未来なんて知らなかった。当たり前だ、今の私も未来のことなんて知らない。
誰がなんと言おうと、自分でもあららあいたたなんて思おうとも、苦しくて死んでしまいそうなくらいの恋をしたあの時の私や、たくさんの出会い、そんなものがないまぜになって今の私ができていて、そんな今の私は溢れ出る愛おしさを活力にまたステージを見つめている。首は相変わらず痛いけれど、いつまでも彼を見上げていたい、いつまでも遠い星空のように輝いていて欲しいと、そう思っている。
そんな時間の上に足を踏みしめて私は立っている。人生はぜんぶぜんぶ繋がって煮込まれた宇宙のスープらしいよ。

 

もっと若かったらとかもっと前からとか違う時間にとか色々思いつつ、もっと前でももっと後でもきっとダメだった。恋だってオタクだってなんだってそんなもんだ。

そこそこのオタク人生の中で私が決めたことは一つ、生きる理由を那須くんの「ため」にしないこと。
もちろん私が彼のためにできることなんて何もない。
私の財力や時間など底が知れているので私は彼にもっとお金を出すオタクがたくさんついてくれたら良いなと他力本願のように思っている。
オタクの発言権ってなかなか面白いもので私が「あれっなんか那須くん今日にこにこしてるな♡」って思ったとしても毎日入って彼を見つめ続けているいわゆるガッツさんが「那須くん今日体調悪い?」って言ったら私はもう口を噤んで意見を撤回してしまうしそれでもなんだかんだその日初めて那須くんを見た一般人(というのか?)が「那須くんって真顔で怖そう…」とか思ったらそれがもう全てになってしまう気がする。
ともかくそんな中でも私は私のなりの人生で那須くんを応援したいしできることなら全てのものから守りたいとか普通に思っている。(こわいね〜!)


それでも、那須くんの「ため」にやっているより那須くんの「おかげ」で幸せな人生でいたい。
自己犠牲って気持ち良くて実際楽な道でもあって最高なのだが、でも「〇〇のため」でしている行動は辛くなってきた時「〇〇のせい」で我慢することや苦しむことが増えてきてしまう。
お金だって時間だって気持ちだって。
まあただの気の持ちようでしかないけれど。那須くんのために仕事をするんじゃなくて那須くんのおかげで仕事が楽しいし那須くんのおかげでお金を使うのが楽しいし那須くんのおかげで人生が楽しい。そんな気持ちで今の私は生きている。

あー那須くんがいて良かった。
そう思う毎日が、そう思える毎日が嬉しい。吐き出すように文章にしたって結局はこの気持ちは理屈ではない。


目に入れても痛くないくらいこの子が可愛い。今この瞬間の私の好きを、時間を、涙だってなんだって彼を見つめることに注ぎ込みたい。
真面目で、努力家で、固くて、でも子どもらしくて、器用そうだからこそ不器用で、真剣な顔がどきりとするくらい綺麗で、笑った時の顔が涙が出そうなくらい可愛くて、死にがちな瞳が煌めく瞬間の子どもっぽさが愛しくて、まだまだ見せてくれない本心が素顔がもどかしくて、人の話を聞くときのぽけっとした口、前のめりになって真っ直ぐに見つめる視線、賢そうな見た目に反してたどたどしい喋り方、頑張りすぎるばかりに上がりがちな語尾、いつでも格好良くありたいと思う姿勢、新しい見せ方を思い続けるところ、先輩にぶつかっていけない時のあのなんとも言えない表情と、構ってもらえた時の子犬のようなとろける瞳、負けず嫌いだけれど自己評価の低いところ、不安を抱えているのにそれを見せずファンについてきてと力強く言ってくれるところ、頑張るから頑張れと言えるところ、短いと言われがちだけど物凄く細い足と華奢な肩、丁寧に伸ばされた指先、いくらでも湧き出てくる、愛おしさ。
那須くんは東京B少年のことが本当に大好きで、今のジュニアの活動が本当に楽しいらしい。それが嬉しい。とっても、嬉しい。
那須くんが楽しいと、嬉しいと思ってくれる、そのことがどうしようもなく嬉しい。

 

恋に恋し恋をこじらせ続けていた中高生時代、狭い狭い教室の箱の中から窓をぼんやりと見上げて、好きな人のことを考えていた。別に教室の中に辛いことが詰まっていたわけではなかったけれど、どこかへ連れ出して欲しかった。今すぐ飛び出して好きな人のところへ駆け出したかった。思春期、中二病、モラトリアム。どこかにいつだって行きたかった。
そんな日々を超えて、御察しの通り夢見がちなところはなんにも変わらないけれどそれでも少しだけ大人になって、気が付けば随分遠くまで来て、どこにでも行けるような行けないような立ち位置を手に入れた二十数歳の私は、今たった15歳の男の子に心を救われている。
これってまあ人によってはただのキモいことだって分かってるけれど私にとってはすごいことだ。
守りたい大事にしたいと言いつつ、この大人になっていく小さな男の子が見る夢に私は夢を見ているし、そうして心を守られている。
それこそがアイドルってことだと私は思うので。私にとってこの子はスーパーキラキラアイドルだ。

 

何が言いたいのかよく分からないただの日記だがとにかく那須くんが「ここに生きてる」と言ってくれた今この時代に生きていられて良かった!
未来のことなんて何も分からないけれどそれでも今私が那須くんのことが大切なのはまぎれもない事実だし明日もきっと那須くんのことが大事だ。すごうく大事。
那須くんのおかげで明日も楽しい。